脱炭素に食糧問題、襲いかかる感染症……。人類の難題を乗り越えるためのテクノロジーが改めて注目されている。かつての「技術立国」の面影も薄れつつある日本だが、企業や大学、研究所にはまだまだ「化ける技術」があるのではないか。

 そんな問題意識からスタートする本連載。初回に紹介するのはAtomis(アトミス、京都市)だ。約25年前に発表されたノーベル賞候補の材料に目を付けて事業化に動く京都大発スタートアップだ。材料はナノ(ナノは10億分の1)メートルサイズで規則正しく並んだジャングルジムのような構造で気体を閉じ込めたり、取り出したりできる。高効率に工業ガスや水素を持ち運びできるとあって、エネルギーインフラの新機軸になる可能性を秘める。

 「ノーベル賞候補の技術をほったらかしておいていいのか」──。

 アトミスの浅利大介最高経営責任者(CEO)は5年前をこう振り返る。39歳の時、アトミスの前身のスタートアップ創業者で京大の同期だった樋口雅一京大高等研究院特定助教に請われ、会社に参画。経営トップを引き受けた。     

 当時、浅利CEOは日東電工のすご腕エンジニアとして活躍。将来は約束されていた。だが、「組織のなかで自分の先が見えていた」と地位も名誉もかなぐり捨てスタートアップの世界に飛び込んだ。

大容量のガスを微細なジャングルジムに閉じ込める

 引き寄せたのは、自らも研究してきた「多孔性配位高分子(MOF)」だ。

 小難しい名称だが、簡単にいえばナノレベルの微細なジャングルジム。有機物の分子を鉄筋に、鉄やアルミなど金属イオンを留め具にして立体的に化学合成した材料がMOFだ。ジャングルジムの隙間である穴にはガスなど気体を取り込んで貯蔵したり、分離したりする機能がある。

 似たような材料に、においを吸着する活性炭などがある。決定的に違うのは、鉄筋である有機分子を自在に合成してジャングルジムを設計できることだ。ナノレベルの微小な穴を整然と規則正しく並べたり形状を変えたりできる。

MOFはナノサイズのジャングルジムの構造(上)になっており、気体を整然と効率よく閉じ込めることができる(下)
MOFはナノサイズのジャングルジムの構造(上)になっており、気体を整然と効率よく閉じ込めることができる(下)

 で、結局何がすごいのかといえば、この規則正しく並んだ穴に二酸化炭素(CO2)などのガスや有害物質を効率よく閉じ込めることができるのだ。

 このMOFは京大特別教授の北川進氏が1997年に発表。その後、ノーベル賞候補となり一気に脚光を浴びた。製造業大手も飛びつき産学連携も相次いだ。たが、量産化の難しさとコスト高にはばまれ撤退する企業が続出。この20年、世界で2万種以上の素材が合成されたにもかかわらず、日本で商用化は風前のともしびとなった。

重さ5分の1のボンベ

 だが、温暖化ガスの増加やエネルギーのパラダイムシフトが起きるなか、北川氏の門下生が一念発起した。故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、とばかりに今やアトミスは日本初のMOF材料スタートアップとしてひた走る。高速演算のコンピューターによる合成技術が進展したことも追い風にしており、2件の特許を取得したほか、6件を出願中で技術力は折り紙付きだ。

 スタートアップの使命は「100年変わっていない業界のディスラプター(破壊者)となり、社会課題を解決する」と心得る浅利氏は、ガス産業に狙いをつけた。開発したのは都市ガスが通っていない地域の工場や施設などに配送される産業用ガスボンベを小型化したキューブ状の容器「キュビタン」だ。

 従来のガスボンベは長さ150cm、横25cmの円筒形だが、キュビタンは29cm角とコンパクト。重さは約5分の1の13kgでというからかなり小さく軽い。炭素繊維強化プラスチック(CFRP)製で、圧力をかけると中に封入した粒状のMOFの穴にガスの気体分子が入り込む。

 アトミスは穴をナノレベルで規則正しく並べる設計技術を持つため、ガス分子は容器内できちんと整列。ガスを圧縮して貯蔵できる。コンパクトだが、従来と同じ7立方メートルのガスを閉じ込められる。

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