ツタンカーメンのミイラ。ファラオの呪いを世界中に広めたツタンカーメンの王墓発掘だが、その起源をたどると、1922年にツタンカーメンの墓が見つかる100年前、英国ロンドンで行われた見世物にさかのぼるという説もある。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT)
ツタンカーメンのミイラ。ファラオの呪いを世界中に広めたツタンカーメンの王墓発掘だが、その起源をたどると、1922年にツタンカーメンの墓が見つかる100年前、英国ロンドンで行われた見世物にさかのぼるという説もある。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT)
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 映画の中のミイラといえば、驚くほどの財宝、そしてトレジャーハンターに最悪の結末をもたらす呪いで知られている。しかし、ハリウッドが呪いのコンセプトを思い付いたわけではない。

「ファラオの呪い(王家の呪い)」が世界に広まったのは、1922年、エジプトのルクソール近郊にある「王家の谷」でツタンカーメン王の墓が発見されてからだ。

 考古学者ハワード・カーターが墓に小さな穴を開けて中をのぞき、3000年前の秘宝を発見したとき、世界中で古代エジプトに対する情熱が解き放たれた。

 1923年2月16日、埋葬室が開かれると、ツタンカーメンのきらびやかな財宝が大きな話題となった。その6週間後、発掘調査のスポンサーだった英国のカーナボン卿が死去したこともセンセーショナルに報じられた。

 実際には、カーナボン卿の死因は血液への細菌の感染で、墓が開かれる瞬間に立ち会った26人のうち、10年以内に死亡したのは6人だけだ。まっさきに呪いの標的になるはずのカーターに至っては、墓が開かれて15年以上が経過した1939年まで生きた。(参考記事:「ツタンカーメン王墓発見者をめぐる誤解」

 このように、ファラオの呪いは現実には刺激不足かもしれないが、人々を魅了する力は失っていない。もしかしたら、人を引きつけるその力こそが、ファラオの呪いが生まれた源泉なのかもしれない。

すでにあった「ミイラの呪い」

 エジプト学者の故ドミニク・モントセラトは幅広い調査を実施し、この概念は19世紀の英国ロンドンで行われた奇妙な見世物、「ミイラ開き」に端を発すると結論づけた。

 モントセラトは亡くなる数年前、英インディペンデント紙のインタビューで、「私の研究は、カーナボン卿がツタンカーメンを発見し、命を落とす100年前、ミイラの呪いという概念がすでに存在したことを明確に示唆しています」と述べている。

 エジプトで発掘されたミイラを包む布を開いて見せるショー、ミイラ開きに触発され、ミイラの復讐劇を書く作家が現れ、その後、数人の作家が追随したとモントセラトは考えた。(参考記事:「ミイラ巡る黒歴史、薬として取引、見物イベントも」

 「若草物語」の著者であるルイーザ・メイ・オルコットも、ほぼ無名の作品「Lost in a Pyramid; or, The Mummy's Curse(ロスト・イン・ピラミッド:あるいはミイラの呪い)」でこのテーマを取り上げているほどだ。(参考記事:「『若草物語』の著者オルコットの生涯、その葛藤と意外な作品」

 モントセラトは英インディペンデント紙のインタビューで、「私の研究によって、ミイラの呪いの起源に古代エジプトは無関係であることが裏付けられたのはもちろん、何より、ツタンカーメンの墓が発見されたという1923年の報道すら関係していないことが明らかになりました」と強調している。

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