イラン南西部のチョガ・ザンビール遺跡にある古代エラムのジッグラト(階段状のピラミッド形神殿)。(GEORG GERSTER/AGE FOTOSTOCK)
イラン南西部のチョガ・ザンビール遺跡にある古代エラムのジッグラト(階段状のピラミッド形神殿)。(GEORG GERSTER/AGE FOTOSTOCK)

 1935年、石油を求めてイラン南西部を上空から調査していた人々が、奇妙な形の丘を見つけた。

 情報提供を受けたイラン考古学局は、近くで発掘を行っていたフランスの考古学調査団に連絡をとった。フランス調査団は当時、古代オリエントで栄えたエラム王国の首都スーサを調査中だった。

 奇妙な丘をローラン・ドゥ・メケネム率いるフランス調査団が調べたところ、都市の遺跡が埋もれていることがわかった。後年の研究により、街の中心にはメソポタミア地方以外で最大の「ジッグラト」(階段状のピラミッド形神殿)があることが判明した。

エラムの街

 地元の人々はこの丘のことを「チョガ・ザンビール」と呼んでいた。「竜の形をした丘」を意味するこの言葉が、1936年にメケネム主導によって発掘が開始された同遺跡の正式名称となった。

 フランス調査団により、この丘はエラム人の王ウンタシュ・ナピリシャが築いた古代都市ドゥル・ウンタシュ(ウンタシュの街)と断定された。ウンタシュ・ナピリシャは、同地域を数世紀にわたって支配したエラムの王たちの子孫であり、紀元前13世紀初頭に王位に就いていた。

 エラムの領地はペルシャ湾の東と北に位置する高原に広がっており、今日のイランとイラクの国境にまたがっていた。エラムは複数の指導者が形成する緩やかな連合体で、古代都市スーサを拠点とする首長によって統治されていた。

チョガ・ザンビールで発見された斧。ライオンの頭部をかたどった持ち手があり、その口から刃が伸びている。刃には「我、ウンタシュ・ナピリシャ王」の文字が刃に刻まれている。現在はフランス、パリのルーブル美術館に展示されている。エラムの職人たちは儀式用の武器の制作で知られていた。(FRANCK RAUX/RMN-GRAND PALAIS)
チョガ・ザンビールで発見された斧。ライオンの頭部をかたどった持ち手があり、その口から刃が伸びている。刃には「我、ウンタシュ・ナピリシャ王」の文字が刃に刻まれている。現在はフランス、パリのルーブル美術館に展示されている。エラムの職人たちは儀式用の武器の制作で知られていた。(FRANCK RAUX/RMN-GRAND PALAIS)

 同地域の人々は、自分たちの民族をハタミと呼んでいた。エラムという呼称は、考古学者たちが旧約聖書にあるヘブライ語を採用したことから広く使われるようになったものだ。旧約聖書には、エラム王国についての言及が数多く見られる。創世記(14章1節)に登場するエラムの王はケダラオメルという名前であり、シュメールのハムラビ王と同時代にあたる紀元前18世紀に、伝統にのっとり、エラムとその周辺地域を支配していた。ケダラオメルが実在した人物であったのかは不明だが、聖書の記述にはエラムの地域的重要性が表れている。

ジッグラトの発見

 1939年、第二次世界大戦の勃発により、フランス人によるチョガ・ザンビールおよびスーサの発掘作業は中断された。作業がようやく再開されたのは、それから10年以上がたってからのことだった。イランで活動するフランス人考古学チームの長に新たに任命されたロマン・ギルシュマンが、遺跡の発掘を引き継ぐことになった。

 ウクライナのハルキウで生まれたギルシュマンは、1917年のロシア革命後にフランスに移住し、考古学の世界でキャリアを築いた。彼が成功させたプロジェクトとしては、ササン朝ペルシャの都市ビシャプール(イラン)や古代クシャーナ朝の都市ベグラム(アフガニスタン)の発掘などがある。1946年、イランに派遣される考古学チームを任されたギルシュマンは、主にスーサで継続中の発掘に取り組み、そこを拠点として、1951年にチョガ・ザンビールの発掘を再開させた。

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