神聖ローマ帝国の地図学者ゼバスティアン・ミュンスターによる『宇宙誌』に掲載された、1588年版の「ヨーロッパ女王(Europa regina)」。オリジナルは1530年代に作られたヨハネス・プッチの木版画。(ALAMY/ACI)
神聖ローマ帝国の地図学者ゼバスティアン・ミュンスターによる『宇宙誌』に掲載された、1588年版の「ヨーロッパ女王(Europa regina)」。オリジナルは1530年代に作られたヨハネス・プッチの木版画。(ALAMY/ACI)
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 1400年代後半のヨーロッパでは、地図作りが盛んに行われていた。その多くは、拡張し続ける交易路を安全に移動するための実用的な地図だったが、なかには当時の文化的、社会的、政治的な情勢を反映した創造性あふれるものもあった。

 とりわけ目を引くのは、オーストリアの宮廷に仕えた学者ヨハネス・プッチが1530年代に制作した作品だ。ヨーロッパ大陸を擬人化し、王冠とガウンを身につけて宝珠と笏(しゃく)を持った女王の姿に見立てて描いた地図は、彼の作品の中で最も有名だ。(参考記事:「コロンブスの地図に隠されていた秘密、明らかに」

 この地図のオリジナルは粗い木版画で、その後、「ヨーロッパ女王(Europa regina)」など、さまざまなタイトルで知られるようになった。女王の頭は西に、足は東にあり、地名はラテン語で書かれている。西のイベリア半島にあるヒスパニア(スペイン)が頭で、東のブルガリアやモスコビア(モスクワ大公国)が足にあたる。右腕はイタリアで、シキリア(シチリア)は手に握られた宝珠、左腕はダニア(デンマーク)だ。

1588年版の「ヨーロッパ女王(Europa regina)」ではヨーロッパ大陸を、王冠を戴く女王に見立てて表現している。(ALAMY/ACI)
1588年版の「ヨーロッパ女王(Europa regina)」ではヨーロッパ大陸を、王冠を戴く女王に見立てて表現している。(ALAMY/ACI)
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 古典の神話を知る人なら、ヨーロッパを一人の女性になぞらえるのは自然なことに思えるかもしれない。そもそも、ヨーロッパという名前は、ギリシャ神話の神ゼウスにさらわれた王女エウロペに由来する。

 ヨーロッパを擬人化した絵としては、14世紀イタリアの神秘主義者、オピキヌス・デ・カニストリスの作品がすでに知られていた。プッチがオピキヌスの作品を目にしていたかどうかはわからない。だが、当時の統治者であったハプスブルク家のパレードでは、よく大陸が女性として擬人化されていたので、それを見ていた可能性は高い。(参考記事:「南極から月面まで、ナショジオ100年の地図」

平和への願い

 ヨーロッパをひとつの存在として表現したプッチの美しい地図は、強力なメッセージを発信していた。当時、ヨーロッパ最強の軍事力を保持していたのは、スペインと、ドイツの神聖ローマ帝国の中心であったハプスブルク家だ。プッチが表現した「ひとつのヨーロッパ」というテーマにおいて、中核的な役割を果たしていたのが、このハプスブルク家だった。

 プッチの地図には、ラテン語の詩が添えられている。その詩では、「ヨーロッパ女王」が神聖ローマ皇帝およびスペイン国王であるカール5世と、その弟であるオーストリアの君主フェルディナント1世に直接語りかける形で、ヨーロッパの団結を訴えている。ちなみに、プッチが仕えていたのはフェルディナント1世の宮廷だ。

カール5世とその弟のフェルディナント。クリストフ・ボックストルファーの版画より。(ALBUM)
カール5世とその弟のフェルディナント。クリストフ・ボックストルファーの版画より。(ALBUM)
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 この女王は彼らを「世界でもっとも輝かしい2つの星」と呼び、イタリアで起きている戦争と、プロテスタントとカトリックとの間で起きている戦争を終わらせるよう懇願する。また、東にオスマン帝国の脅威が迫る中、ヨーロッパの安全は「忠実で強大な」ハプスブルク家のドイツ(心臓の位置)とスペイン(頭)にかかっていると話す。

 1542年に若くして亡くなったプッチの経歴については、ほとんど何もわかっていない。しかし、彼の作品は生き続け、のちに鮮やかさを増して洗練された改訂版の地図が作られるようになった。彼の地図が種をまいた「ひとつのヨーロッパ」というアイデアは、その後何世紀にもわたって実際に繰り返し試され、現在の欧州連合という形で実を結んだと言えるのかもしれない。

 また、彼の地図をきっかけとして、国を動物や植物に見立てたものなど、活発に地図が作られるようになった。16世紀後半から17世紀にかけては、オランダをほえるライオンに見立てたり、ボヘミアをバラに見立てたりして表現した地図が人気を集めた。

[ナショナル ジオグラフィック日本版サイト2022年9月23日掲載]情報は掲載時点のものです。

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