芝居の流行と「女性の慎ましさを守る」仮面

 仮面の着用は、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各地の首都で流行した劇場でも見られた。英国の作家サミュエル・ピープスは、1663年6月にシアター・ロイヤルに行ったときのことを日記に書いている。

「ここでわたしは、ファルコンブリッジ卿とその夫人であるレディ・マリー・クロムウェルを見たが、彼女は以前と同じく元気そうで、服装もきちんとしていた。しかし、劇場の席が埋まり始めると、彼女はビザードを着け、劇が上演されている間、ずっとこれを外さなかった。ビザードは顔全体を隠すもので、最近、婦人の間で非常に流行している」

 仮面を着けて劇場へ行くことは「女性の慎ましさを守る」手段だったと、米ルイス&クラーク大学の英語学准教授ウィル・プリチャード氏は指摘する。当時の演劇には、いかがわしい言葉や性的な暗喩が多かったため、「まっとうな」婦人は周囲からの視線を遮るために仮面が必要であると考えられていた。

 劇場以外の場所では、仮面は、以前は存在しなかった日常生活における自由をもたらし、女性たちは男性のエスコートなしで市場や教会に行くことが可能となった。仮面を着けていない場合、女性が付き添いなしに公の場に出れば、醜聞にさらされるおそれがあった。

 仮面は女性に一定の自立を提供し(この事実は仮面の人気に拍車をかけた)、一方では着用者の顔を隠すことによって神秘さや錯覚をもたらした。英国の作家エドワード・レイブンスクロフトが1673年に発表した喜劇「The Careless Lovers(軽率な恋人たち)」では、ある登場人物がこう言っている。「ビザードに顔を隠して、妻は夫に見つからずに……そして娘や姪は親戚に気づかれずに、劇、舞踏会、仮面舞踏会へ出かけるのだ」

フランス風エチケット
フランス風エチケット
仮面を取って顔を見せる女性を描いた17世紀フランスの版画。1695年のパリで出版された手引書には、家柄の良い婦人たちに向けた仮面着用のルールが記されている。仮面を着けて「配慮」に値する人物の部屋に入ること(あるいはそのような人物の前で仮面を着けたままにすること)は、馬車に乗っている場合を除き、無作法とされた。また、仮面を着けたまま会釈することは、距離がある場合を除いて無作法であったが、王室の人物に対してはいかなる場合においても仮面を外さなければならなかった。(BNF/RMN-GRAND PALAIS)

 ちなみに、スペインで体を覆うという行為(エル・タパド)の流行が登場したのも16世紀だ。一部の女性は宮廷で仮面を着けたが、より一般的なのは、黒っぽいマントで頭と体を覆うというものだった。中には、マントで片方の目以外をすべて隠してしまう女性もいた。1700年以降、マントの代わりに丈の短いマンティラ(頭と肩を覆うスカーフ)が用いられるようになり、これはやがてスペインの女性らしさと国民性の象徴となっていった。

「身分を隠す」仮面、パリで上流階級以外にも波及

 フランス文化研究者のジョーン・デジャン氏は、17世紀末に書かれたフランスの貴婦人についての描写の多くに、彼女たちが「仮面をもてあそんでいる」との記述があると述べている。ヨーロッパのほかの主要都市とは異なり、「パリのみにおいて……本来はごく平凡な習慣が、手の込んだ、しばしば異性を誘惑するための儀式に発展」し、女性たちは気分次第で自分の顔をあえて見せたり、隠したりしていたという。

 英語でも「身分を隠して」という意味で使われるが、17世紀初頭のパリにおいて初めて、「incognito(インコグニート)」というイタリア語発祥の単語が仮面を着けて出かけることを表すために使われた。「仮面の着用という現象はこのパリにおいて、上流階級の人間以外にも広がり始めたのです」とデジャン氏は書いている。

 1700年代、ベネチアは、カーニバルが人気を博したことで「仮面の都市」として有名になり、やがてそのほかの社交行事においても仮面を着けることが定着していった。上流婦人たちはベネチア版のビザードであるモレッタを、たいていはつばの広い帽子とベールと一緒に着用した。

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