米ハーバード大学医学部とマサチューセッツ総合病院の神経科学者であるビタリー・ナパドー氏。脳波を検査することで、脳がどのように痛みを感じるかを研究している。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
米ハーバード大学医学部とマサチューセッツ総合病院の神経科学者であるビタリー・ナパドー氏。脳波を検査することで、脳がどのように痛みを感じるかを研究している。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
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 ダン・ウォルドリップ氏(49)は18年間、断続的に痛みを感じていた。健康だった27歳のとき、芝刈りをした翌朝、ベッドから起き上がれないほど腰がひどく痛んだ。その後は、調子の良いときが数週間続いたり、刺すような痛みや鈍痛に何日も襲われたりするなど、断続的な痛みに悩まされた。

 カイロプラクティック、鍼(はり)治療、理学療法、鎮痛剤など多くの治療に何千ドルも費やした。南アフリカに出張した際には、わらにもすがる思いで、野外マーケットで「エナジーヒーラー」を雇ったこともあった。何をやっても効果がなかったため、ついにウォルドリップ氏は、自分は一生「厄介な腰や背中」に振り回されるのだということを受け入れるに至った。

 すべてを変えたのは、娘の水泳大会で目にしたチラシだった。そこには、「疼痛(とうつう)再処理療法(PRT)」という新しい治療法の臨床試験(治験)のために、慢性腰痛の患者を募集すると書いてあった。

 脳を再プログラムする治療法だという。ウォルドリップ氏の苦しみの原因は、長引く組織の損傷ではなく、専門家が痛みの「破局化」と呼ぶもの、つまり痛みに対する恐怖心に関連した神経回路の誤作動なのだと、脳にわからせるのだ。

「痛みに関わる主な臓器は脳」

 米疾病対策センター(CDC)によると、米国人の約20%は慢性疼痛に悩まされているという。オピオイド系鎮痛剤への依存が、2019年だけで米国で5万人近くが死亡するという壊滅的な結果を招いていることから、研究者は新薬以外の革新的な治療法を探すようになった。(参考記事:「新型コロナ、薬物依存症の患者が窮地に、米国」

 代替的な治療法の研究は「爆発的に増えています」と、米デューク大学ヘルスシステムで疼痛管理戦略プログラムの責任者を務めるパドマ・グルール氏は言う。好ましくない副作用や依存症を避けるために、「私たちは皆、非オピオイド、はっきり言えば非薬物療法の選択肢を探しているのです」

 有望な研究分野の一つが、痛みに対する「破局的思考」に関するものだ。つまり「もう良くならない」「最悪だ」「人生が台無しになる」といった考え方が、現実に果たす役割を探る研究だ。

 これは、医師が身体的原因を特定できないときに、患者をあしらうように言うことのある「気のせいだ」というコメントとは全く異なるものだと、米ワイルコーネル医科大学の心理学者で、ウォルドリップ氏が参加した治験論文の著者の一人であるヨニ・アシャール氏は説明する。現代の研究者の中には、「破局化」という用語を嫌う人もいる。痛みを感じている人に落ち度があるのだと思わせかねないからだ。

「痛覚の処理経路が変化するせいで、生物学的な損傷がなくても非常に現実的な痛みを感じることがあります」とアシャール氏は言う。「痛みに関わる主な臓器は、実は脳なのです」。だからこそ、疼痛再処理療法のような治療法が有効な患者もいるのだ。氏らの論文は2021年9月21日付けで医学誌「JAMA Psychiatry」に掲載された。

 ウォルドリップ氏は治験の間に、身体の損傷による痛みは、氏が感じていた腰の痛みのように消えたり再発したりするものではないことを学んだ。また、最初に経験した痛みと、最も激しい発作が、いずれも氏の人生における大きなストレスと相関していることにも気づいた。

 腰の痛みは治療開始後1カ月で完全に消えた。ウォルドリップ氏は先日も5日間連続でスキーをしたが、痛みを感じることはなかった。(参考記事:「慢性的な痛みに悩む人がぜひ知っておきたいこと」

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