1927年頃、米デトロイトのフォード・モーター社の工場内で、自動車のボディの組立ラインで働く男性たち。実業家ヘンリー・フォードは、現代では当たり前になっている週5日勤務制の普及に貢献した。(PHOTOGRAPH BY POPPERFOTO, GETTY IMAGES)
1927年頃、米デトロイトのフォード・モーター社の工場内で、自動車のボディの組立ラインで働く男性たち。実業家ヘンリー・フォードは、現代では当たり前になっている週5日勤務制の普及に貢献した。(PHOTOGRAPH BY POPPERFOTO, GETTY IMAGES)
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 週の最大労働時間を現在の40時間から32時間とする法案が、米国の議会に再提出されたのは3月上旬のこと。週4日勤務制を採用するべきかどうかは、何年もの間、米国の人々の強い関心の的となってきた。

 だが、そもそもなぜ週40時間働くことを求められているのだろうか。土曜日と日曜日が聖なる休日とされている理由はなんだろうか。こうした概念が職場の常識となった経緯を紹介しよう。

なぜ週5日働くのか

 何世紀もの間、米国の雇用主は週ごとの休みを設けることなく、労働者を長時間働かせていた。しかし19世紀初頭、多くの雇用主が日曜日を休みとすることを認めるようになった。その背景には、「サバタリアン(安息日厳守主義者)」と呼ばれるキリスト教徒によるロビー活動の影響があった。

 彼らは郵便局を始めとして、さまざまな業界において、安息日には業務を休むことを義務付ける法律を設けるよう強く求めた。彼らは、キリスト教徒は第4戒によって、聖なる日には旅行や仕事、気晴らしの娯楽さえも控えなければならないのだと主張した。

 ところが、ユダヤ人労働者にとっての安息日は日曜日ではなく土曜日だったことから、職場で対立が生じた。20世紀初頭には、一部の工場が、従業員の宗教的信条に配慮して、土曜日と日曜日の両方を休日とするようになった。

1952年7月31日、労働条件に抗議して市庁舎の周囲をトラックでまわるニューヨーク市の公衆衛生労働者たち。彼らは当時の週6日48時間勤務制に代わり、週5日40時間制の導入を訴えていた。(PHOTOGRAPH BY BETTMANN, GETTY IMAGES)
1952年7月31日、労働条件に抗議して市庁舎の周囲をトラックでまわるニューヨーク市の公衆衛生労働者たち。彼らは当時の週6日48時間勤務制に代わり、週5日40時間制の導入を訴えていた。(PHOTOGRAPH BY BETTMANN, GETTY IMAGES)
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 中でも、週休2日という概念の実施を初めて大規模に試みたのは、ヘンリー・フォードだ。1922年、彼はフォード・モーター社の従業員に対し、週5日40時間勤務制を導入し、土曜と日曜には工場を閉鎖すると告げた。

 勤務日の減少は、給料にも影響を及ぼした。フォードは日給を設定したが、それはこれまで少ない休みで働いてきた従業員たちにとって減給に等しいものだった。

 フォードの計画は、週末の定義について全国的な議論を巻き起こした。多くの雇用主や新聞が反対を表明し、ニューヨーク・ヘラルド紙は1922年、「フォードの計画は、仕事を最低限にまで減らしたいと考えるすべての人たちにとって喜ばしいニュースだろう」と書いている。

 それでも、フォードの試みは成功した。フォードによると、同社の工場は以前と変わらない生産性を維持し、労働時間が短くなったことで、従業員は稼いだお金をより多く地域社会で消費できるようになったという。この変化のおかげで教会へ行く人も増えたと、フォードは述べている。労働運動による圧力の助けもあり、じきにほかの大企業がこれに続き、1930年代には週5日勤務制が社会に定着した。

なぜ1日8時間働くのか

 18世紀末の産業革命の黎明期、工場や技術の発展によって経済が大きく変化しつつあった欧州の国々では、長時間労働が当たり前となっていた。その結果、労働量は増え、労働者の搾取も増えた。

「工場で働く子どもたちは、朝日がのぼり一日が明けるよりもずっと早く起き出してくる。中には靴や靴下も履いていない子もおり、疲れ切った体を引きずって、雨や雪に濡れながら、キリスト教徒の街マンチェスターの通りを歩いていく」。1857年に発表した英国の労働運動史の中で、サミュエル・H・G・キッドはそう書いている。

 しかし1830年代、労働者は働く時間を制限する法律を要求するようになった。「時短委員会」がイングランド全域で公聴会を開いて1日10時間労働を提唱し、1847年、ついに工場法においてこれを実現させた。

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