
機械は思考することができるのか。強力な人工知能(AI)や、人間と会話ができる深層学習マシンChatGPTの登場によって、最近では多くの人が疑問を抱くようになっている。ChatGPTは、時には人間を惑わすこともあるといい、この技術を使ったある検索エンジンのチャットボットは、ユーザーに対して愛を告白したと話題になった。
英国人の数学者で暗号解読者、コンピューター科学者でもあったアラン・チューリングは、機械は思考できるかどうかの答えを1950年に既に出していた。コンピューターは、本物の人間のものと区別がつかないほど説得力のある回答をするようになれば、思考すると考えてよい、とチューリングは言った。「チューリングテスト」として知られるこの概念は、新世代のAIが実際にこのテストに合格すると言われるようになった今、新たな注目を集めている。(参考記事:「再評価される天才数学者 ミゾホオズキの花びら、模様の謎」)
そのチューリングとは、いったいどのような人物だったのだろうか。また、コンピューターとAIに関する彼の考えは今でもなぜこれほどの重要性を帯びているのだろうか。(参考記事:「世界初のプログラマー、19世紀の伯爵夫人エイダ・ラブレス」)
学生時代と「チューリングマシン」
チューリングは、1912年にロンドンで生まれた。父親は英国の植民地だったインドに駐在する行政官だったが、彼の両親は子どもたちをインドで育てることを望まず、チューリングは英国に住む友人に預けられた。伝記作家のアンドリュー・ホッジス氏によると、チューリングは「英国で様々な家庭を転々とし、表現や独創性、発見を奨励するような環境とは縁がなく」、孤独な少年時代を過ごしたという。しかし、若きチューリングは独特で優秀な頭脳の持ち主だった。
寄宿学校にいた10代のときに、科学という共通の興味を持っていたクリストファー・モーコムと出会い、親交を深める。そのモーコムが1930年に突然亡くなると、チューリングは大きなショックを受けた。モーコムの母にあてた手紙の中でチューリングは、体がなくなってもモーコムの魂が生き続けることはできるだろうかと問いかけている。
親友の死をきっかけに、チューリングは人間の心をめぐる哲学や数学、科学的研究へとのめり込んでいった。そして高度な科学と数学を学び、その後の生涯をこのテーマの追求に捧げることになる。チューリングは1934年に英ケンブリッジ大学で数学の学位を取得、1938年には米プリンストン大学で数学博士号を取得している。
大学院生時代には、高名な数学者だったダフィット・ヒルベルトの「解けない数学の問題は存在しない」と予測する理論に対する反証論文を書き、その一環として、ある仮想の機械を定義する思考実験を提唱した。この機械は、現在は「チューリングマシン」として知られるが、無限に続く長いテープから入力情報を読み取り、一連のルールに従って問題を解くという設定だった。実際にチューリングマシンを作ることは不可能だったが、プログラム可能で、情報を保存し、計算を実行できる複製可能な機械という概念は、現代のコンピューターの土台を作ったといえる。
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