
古代の船乗りたちは、海の向こうで不思議な大陸や島にたどり着き、珍しい生き物や失われた文明に出合ったと語り伝えた。そのため古い地図には、今では存在しないとされる謎の島が描かれていることがある。
ただ、そうした大陸や島々の伝説にも、一片の真実が含まれている可能性はある。聖ブレンダンは北米大陸に降り立った最初のヨーロッパ人だったかもしれないし、アトランティス伝説の基となった天変地異は確かにあったのかもしれない。ここでは、そんな6つの伝説の島について、今わかっていることを紹介する。(参考記事:「地図に記載されるも、実在しない「幻の島」 その謎を追う」)
高度に発達した文明アトランティス
古代ギリシャの哲学者プラトンは、紀元前4世紀に著した対話篇「クリティアス」のなかで、初めてアトランティス大陸について記述している。それは「ヘラクレスの柱」(現在のジブラルタル海峡)の先にあり、「身体的美しさ」と「優れた道徳観」で知られる神聖な人々が支配していたという。王たちの宮殿は、真ちゅうの壁、錫の壁、銅の壁に守られていた。
アトランティス伝説は、後の時代の著作家たちによって広く伝えられてきた。しかし、本当にアトランティスと呼ばれる大陸は存在したのだろうか。多くの歴史家や考古学者たちは、地震や津波、大洪水といった過去に実際に起こった大災害から伝説が生まれたのではないかと考えている。
そんな想像を最もかき立てそうなのが、かつてテーラと呼ばれていたサントリーニ島だ。エーゲ海に浮かぶこの島は商業の中心地として栄えたが、約3600年前の火山の大噴火によっていくつかの小さな島々に分裂した。そのときに、津波が起こった可能性もある。
この大災難の記憶が、プラトンの物語を形作ったのだろうか。ほかにも多くの探検家が、スペインやバハマ、インドなどにある遺跡でアトランティスの証拠を探し求めたが、いまだにそれらしきものは発見されていない。(参考記事:「アトランティスか? 2700年前の謎の黄金財宝、起源を解明」)
世界の果ての島トゥーレ
マッサリア(現代のフランス、マルセイユ)出身のギリシャ人探検家ピュテアスは、紀元前4世紀の著作「大洋」のなかで、初めて謎の島トゥーレに言及している。
恐れ知らずの旅行家だったピュテアスは、ヨーロッパ北西部を旅して、正確な記録を書き残した。それによると、トゥーレは英国諸島を北へ船で6日間航海した先にあるという。ピュテアス本人が自ら島に上陸したかどうかは明らかではないが、それは陸でもなければ海でもなく、また空気でもない、その3つが混じり合ったクラゲのようなものであったと書かれている。
トゥーレとは何だったのか。地理学者たちは、アイスランドやグリーンランド、ノルウェー、カナダのノバスコシアなど北方にある様々な島を検討してきた。しかし今では、実在した島なのかどうかさえ疑問視され、単に世界の果てにある島のことを指す代名詞だったのではないかという見方もある。
いずれにしても、後に最も隔絶された地は「ウルティマ・トゥーレ」と呼ばれるようになり、グリーンランドにはトゥーレ空軍基地があり、サンドウィッチ諸島には南トゥーレと呼ばれる地域がある。また、スウェーデン人科学者が発見した69番目の元素には、トゥーレを語源とする「ツリウム」という名がつけられた。(参考記事:「史上最遠の天体「ウルティマ・トゥーレ」の接近撮影に成功、雪だるま形」)
アイルランドの幻の島
多くの野心的な船乗りたちが、ハイ・ブラジルと呼ばれる魅惑の島を探すために海へ出ていった。ケルト神話によると、それは濃い霧に隠され、7年に1度だけ姿を現すという。15世紀の記録には、トーマス・クロフトという人物が「交易のためではなく、ブラジル島と呼ばれる島を探すために」2隻の船を装備したと書かれている。イタリアの冒険家ジョン・カボットも、1498年にハイ・ブラジル島を目指して北米へ出航したようだったが、船は消息を絶ち、その旅の詳細についてはわからずじまいとなった。
アイルランドの西にある浅瀬がハイ・ブラジル島伝説の下地になった可能性はある。7年に1度しか現れないという言い伝えも、遠くのものが地平線の上に浮かんでいるように見える蜃気楼だったのかもしれない。島はやがて、時の流れとともに記録から消え去った。
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