──早稲田大学を卒業後は宝島社の編集者になり、「別冊宝島」や「宝島30」の編集長も務めています。

 就活の時期もとうに終わった大学4年の1月に、新聞の求人欄を見て応募し、新橋にある零細出版社に採用してもらいました。社員20人ほどで、社長を含めて上司が3人いました。20~30年後、その3人は全員、逮捕されたり破産したりと人生を踏み外してしまいました。

 入社1年半ほどでその会社を辞め、友人や同僚と一緒に編集プロダクションをつくりました。当時は「ギャルズライフ」(主婦の友社)という雑誌が売れていて、同じジャンルの雑誌を創刊したのですが、国会で「有害図書」だと槍玉にあがり、5号で廃刊になってしまった。当時は24歳で、できちゃった結婚で子供が生まれたばかりだったのに、雑誌づくりで月の28日間を会社で寝泊まりし、しかも月給10万(年収120万円)という生活だったので、正直「これでようやく解放される」と思いました。その後、フリーの編集者をやっていたときに、宝島社の編集者に声をかけられ、26歳で拾ってもらったという経緯です。

──その後、一人の書き手として独立した際、覆面作家になることを選んだのはなぜですか?

 編集者は黒子であるべきだと教えられてきたし、メディアの内情も知っているので、顔出しするメリットはあまり感じられなかった。不特定多数の人が自分の顔を知っているというのは、気持ち悪いですよね。書き手としてはもちろん1人でも多くの人に自分が書いたものを読んでほしいのですが、自分の顔をみんなに知ってほしいわけではありませんから。それに、SNSがこれだけ普及すると、テレビや講演で宣伝をしなくてもパブリシティーできるようになったというのもあります。

 自分が経験したり考えたことを読者に伝えて、驚いたり喜んだりしてくれる、そのフィードバックが執筆のモチベーションになっています。

橘氏の学生時代から編集者時代の出来事は、『80's エイティーズ ある80年代の物語』(太田出版)に詳しい
橘氏の学生時代から編集者時代の出来事は、『80's エイティーズ ある80年代の物語』(太田出版)に詳しい
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