白人至上主義も「モテ/非モテ」問題も、社会的にも性愛からも排除され、「攻略できない無理ゲー」に放り込まれてしまったと感じている者たちが、マジョリティーの中から現れてきたことが根底にあるのだろうと考えたことが、構想のスタート地点でした。

──「才能のある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア」という表紙の文言も強烈です。

 リベラル化する社会では、あらゆる人生の選択を一人ひとりが個人の自由意思で判断しなくてはなりません。そのため、あちこちで利害が対立して社会が複雑化し、その複雑さに適応できる人とできない人が出てくる。適応できるのは「賢い」人で、これが現在の「知能格差社会」ともいうべき状況を生んでいる。賢いというのは知能だけでなく、コミュニケーション能力も高いことで、そうした人は人間関係を円滑に構築できますが、そうでない人は引きこもってしまう。

 いたずらをした子供を叱る場面を考えると分かりやすいですが、「なんでそんなことをしたの!」と叱られたとき、その理由をきちんと言葉にして答えられる子供は許される。答えられずに黙りこんでしまう子供は、理由が分からないことに不安を覚える大人から、さらに怒られます。そうなると子供は、世界を恐ろしい場所だと思うようになり、家族・親族や地域などの狭い共同体から出ようとしなくなるでしょう。子供時代のIQ(知能指数)で将来の政治イデオロギーを予測できるという研究もあり、言語能力の低い子供(男性に多い)は保守主義に、言語能力の高い子供(女性に多い)はリベラルになる傾向がある。

──本書の中では「秋葉原通り魔事件」の加藤智大死刑囚をはじめ、リベラル化した社会で追い詰められた人間がテロリズムに走る経緯も分析されています。刊行後まもなく現実に、小田急線内での傷害事件も起こりました。

 小田急線の事件は、若く魅力的な女性をターゲットにした日本で初めてのミソジニー(女性憎悪)による無差別テロではないでしょうか。『無理ゲー社会』で取り上げた秋葉原通り魔事件の加藤智大は「女神(運命の女性)」と出会いたいと思っていて、「非モテ」特有のひがみやコンプレックス、彼女さえできれば人生が好転するという「一発逆転」願望はあったとしても、女性への憎悪はなかったように思います。京都アニメーション放火殺人事件にしても、私立校に通う小学生を狙った川崎市登戸通り魔事件にしても、憎悪の対象は女性ではなかった。「きらびやかな勝ち組の女が憎い、殺してやりたい」と動機を明言した今回の事件は、その点で象徴的だったといえます。

 また、加藤の場合は女性と交際した経験がほとんどありませんでしたが、小田急線事件の容疑者は、大学生の頃までは人気者で女性にもモテていた、いわゆる「リア充」でした。それがなぜか大学を中退し、バイトしながら自称「ナンパ師」になり、最後に行き着いたのが、生活保護を受けて家賃2万5000円の部屋で暮らし、生活必需品を万引きする生活です。

 男の場合、「持てる者はモテ、持たざる者はモテない」という明らかな傾向があり、30代で社会の最底辺に落ちてしまえば、どれほどナンパテクニックを持っていても誰も相手にしてくれないでしょう。彼がドロップアウトした経緯は分かりませんが、それでも自分でその生き方を選んだわけですから、自己責任で誰のせいにもできない。何のために生きているのかと絶望して暮らす日々があと半世紀続くとなれば、「無理ゲー」を強いる社会を破壊するしかないと考えるようになった心理は容易に想像できます。