
──2013年の『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』で一躍注目を集めました。
これだけ広く読んでいただける本になるとは思いませんでした。鳥類学者が恐竜の本など出したら、恐竜学者からいろいろ突っ込まれて炎上するかもしれないと恐れていました。ただ、研究者らしく合理的に考えてみれば、僕は文筆家ではないし恐竜学者でもない。たとえこの本の内容が炎上し、両方の立場を失ったとしても痛くもかゆくもないぞと思い直し、気持ち良く執筆することができました(笑)。
──その後の著作もユーモア満載の軽妙な語り口で、大人から子供まで幅広く読者層を広げています。
読者の方に楽しんでいただけたということは、研究者としての僕の興味と研究者でない読者の興味が一致していたということだと思います。一般的に「研究者と芸術家は社会性が無くてもいい」と思われていますよね。「あいつらは変で当然だ」と。そんなふうに間に線を引かれてしまうのが僕は嫌なんです。研究者も社会の一員なので、仲良くしてくださいという気持ちがある。研究を通じて僕らが面白いと思っていることを、みんなにも面白いと思ってほしいし、身近に感じてほしい。そう思って本を書いています。
理想はクエンティン・タランティーノ監督の映画『パルプ・フィクション』みたいな文章を書くことです。場末のレストランで話していたカップルがいきなり立ち上がって、銃を突き付けて強盗を始める。何が起こったか分からないままに、話が切り替わっていく。何だこれは? と思いながらも引き込まれて見入ってしまう。映画が終わった時には、こういうことだったのかと分かる。美しいですよね。
「鬼」を科学する意味とは
──21年3月17日に発売の新著『鳥類学は、あなたのお役に立てますか?』では、なぜ自然を守るのかという問いに対して、「自然こそが人類が渇望する新たな知の根源だからだ」という力強いメッセージを記されています。将来性や採算性など、つい物事の世俗的な価値や有用性を考えてしまいがちな私たちに、科学は何を教えてくれるのでしょう?
科学的な考え方を、僕はシンプルに面白いと思うんです。先入観なく物事を考えてみたり、あらゆる物量を単位当たりに換算してみたり。そうすることで、今までと違ったものの見方が現れてくる。
科学のきっかけはそこらじゅうに転がっている。僕ら科学者は「世界は科学でできている」という宗教に入っているようなものです。常に様々なことを疑問に思っていて、その答えが得られないと理由を知りたくてムズムズする(笑)。全部を調べるのは大変なので、とりあえず頭の中で考えるだけでも考えてみて、納得がいけばそれでいい。特に何か得られるわけでもなく、かといって失うものもない。ただ、自分にとって物事が合理的になって、ちょっと幸せになれる。生きる上で楽になる。科学的な考え方とはそういうものだと僕は捉えているんです。
──著作の中でも『猿の惑星』ならぬ鳥の惑星はあるか、成立するためにはどんな歴史が必要になるのかを推定したり、おとぎ話に出てくる鬼の形態から行動を推測したり、様々な思考実験が繰り広げられています。
手にしている事実を基に、説得力のある仮説を考えて検証してみるのが好きなんです。鬼なんてフィクションだと言ってしまえばそれで終わりで、面白くない。現実にいると仮定した上で、どういうメカニズムが必要かを考えた方が楽しい。ツノがある哺乳動物がいることは確かな事実である。そして、ツノがあるのはシカにキリンにウシにサイ、基本的に植物食の動物だという相関関係が把握できている。では、なぜツノは植物食哺乳類に発達し、肉食哺乳類にはないのかというメカニズムを説明する必要がある──と考えていく。
実は現実の研究というのもまさにそういう世界で、新しいものに出合ったときに、まず否定しないことが重要です。スパイダーテイルド・クサリヘビというヘビがいます。しっぽの先が昆虫のクモのような形をしている。最初に発見された時には「そんなヘビはいるはずがない。奇形だ」と思われてしまったそうです。けれど実際には、このヘビは巧妙にしっぽの先を動かすことで岩の上をクモが歩いているように見せかけ、それを狙ってやってくる鳥を捕食するヘビだった。奇形だという思い込みのせいで、そういう種だと認定されるまでにずいぶん時間がかかりました。
未知の生物や事象など、過去の知識では解決できないことに出合ったときには、事実を把握して新しい仮説を作り、そこにどのようなバックグラウンドがあるのかを考える必要がある。既存のメカニズムでしか説明できないなら、研究はそこで止まってしまう。今まで説明できなかった事象を説明できるようになるからこそ、僕らの研究には意味がある。

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