日本製鉄の構造改革は、新日本製鉄と住友金属工業の合併を自己否定することから始まった。橋本英二社長は製鉄所の合理化に大ナタをふるい、固定費を大幅に引き下げた。次に荒療治に踏み切ったのが大口顧客に対する営業。それは長年染みついた負け犬体質を払しょくすることだった。
■連載予定 ※内容は変更する場合があります
(1)日本製鉄、V字回復を成し遂げた橋本改革の真相
(2)日本製鉄、負け犬体質を払しょく トヨタがのんだ大幅値上げ(今回)
(3)日本製鉄の橋本社長「危機の真因は10年前の経営統合」
(4)橋本改革が示唆するもの 利益なき顧客最優先を疑え
(5)道険し脱炭素 日本製鉄、“静脈”人材に託して突破
(6)日本製鉄、タイで見た適“鋼”適所のグローバル経営
(7)目指せDXの鉄人 日本製鉄が築く「考える製鉄所」

日本製鉄の橋本英二は製鉄所の合理化を進める一方、長年の懸案だった営業改革にも乗り出した。メスを入れたのは「ひも付き」と呼ばれる特定の大口顧客向けの価格だ。
もっとも、およそ30年間安売りが常態化していた原因はほかならぬ自らにあった。
供給過剰から抜け出せず、数量を追うシェア争いに明け暮れた結果、価格は陥没。原料炭や鉄鉱石などコストを反映させるのがやっとで、「不退転の決意で値上げする」という言葉は、掛け声倒れになり続けた。
00年代、中国の爆食で国際市況が高騰しても、日本国内での取引価格は安いまま。海外事業を任される前、薄板の営業経験豊富だった橋本も辛酸をなめた一人だ。
10年代には中国の安値鋼材がアジアに出回り、日本にも波及。負のスパイラルに陥り、最大顧客であるトヨタ自動車など自動車大手とのひも付き価格交渉では負け犬体質が染みついていた。
橋本はトップになって「安値は企業価値を下げる自殺行為」と身をもって知る。それは自ら営業していた頃とは比べ物にならないほどで、「トップが直接関与すべき問題」と悟った。
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