日経ビジネスでは7月1日、リチウムイオン電池の発明者として知られる吉野彰・旭化成名誉フェローのウェビナー(オンラインセミナー)を開催します。詳細はこちらをご覧ください。記事末尾にもご案内があります。

2022年に創業100周年を迎える旭化成が、イノベーション再興に向け人材育成のテコ入れに動いている。マーケティング担当の社員をスタートアップへ他流試合に出したり、エンジニアに自由な裁量権を与えたりと“旭化成色”に染めない異能を輩出する狙いだ。同社は高い世界シェアを誇るリチウムイオン電池材料や大半のスマートフォンに採用されている電子コンパスなど「昨日まで世界になかったもの」を次々と世に送り出してきた。だが、近年、かつてのような爆発的なイノベーションは見当たらない。テコ入れに動く裏には脱炭素というメガトレンドを前に、これまでの延長線上では成長の果実は得られないとの危機感がある。

 「これじゃだめ。鈴木さんは『なぜ?』が足りない。ユーザー目線で考えられていない」「最短距離で『ムーンショット(相当な困難を伴う壮大な挑戦)』を考えてみてください」。旭化成のマーケティング&イノベーション本部の鈴木翔担当課長に、“最高経営責任者(CEO)”からの厳しい助言や指示が次々と飛ぶ。

解約率1%以下のスタートアップで「修業」

 といってもこれは旭化成社内でのやり取りではない。高齢者向けオンラインサービスを手掛けるチカク(東京・渋谷)でのひとこま。鈴木さんは期間限定の“レンタル移籍”を通して同社で働く。厳しい注文をつけていたCEOとはチカクのトップ、梶原健司氏だ。

鈴木さん(写真右)はスタートアップで武者修行する(東京・渋谷のチカクのオフィス)

 鈴木さんはレンタル移籍を手掛ける人材仲介スタートアップを通してチカクを知り、「他流試合」を志願。オープンイノベーションを進めていたマーケティング&イノベー ション本部も「絶好の機会」とレンタル移籍に乗り出し契約に至った。

 チカクは、高齢者が慣れ親しんだテレビを使い簡単な操作で遠く離れた子供の家族らと対話するサービスなどを提供している。わかりやすさを重視することで利用する高齢者からの評価を上げ、質の高いユーザー体験(UX)で解約率1%以下を達成している。

 鈴木さんがレンタル移籍による修業を通じて身につけようとしているのは、まさにこのユーザー目線のサービス設計だ。2008年から8年間、旭化成で感染症の検査機器を開発していたが「コストは高く、使い勝手も悪かった」(鈴木さん)。売り上げアップに貢献できず、もがき苦しんだ。

 こうした経験から「ハードそのものではなく、UXを起点に設計する必要がある」と痛感。自分にない開発力を養おうともまれる日々だ。

 レンタル移籍の容認はこれまでの旭化成では考えられなかった。社内の組織力をもってして自前で開発するのが常道だからだ。だが、マーケティング&イノベーション本部長を務める田村敏常務執行役員は「どのように顧客体験をサービスに落とし込み収益化していくのか。スタートアップの価値提供のノウハウなどを含めこれまでの旭化成とは違うやり方が必要になっている」と力説する。

脱炭素は避けて通れない経営課題(旭化成のシンガポールの合成ゴム材料工場)

 背景にあるのは、脱炭素やDX(デジタルトランスフォーメーション)といったこれまでのビジネスの在り方を一変させるメガトレンドだ。しかもそのスピードは速い。旭化成も従来の延長線上ではなく「スピード感を持って新市場を創造するマーケティング力がなければ将来はない」(田村常務執行役員)。

 鈴木さんがレンタル移籍しているスタートアップのチカクと大企業の旭化成とでは、経営の時間軸が異なる。チカクは達成が難しい目標を四半期ごとに設定しその都度、到達度合いを検証する。一方の旭化成は期初に1年間の目標を立ててじっくり取り組む。どちらが正解とは言い難いが、鈴木さんに対して旭化成が期待しているのは「スタートアップならではのサービス開発力を持ち帰り、インフルエンサーとして社内のマインドセットを変えてもらう」(丸尾章郎・イノベーション戦略室室長)役割だ。

吉野彰氏はリチウムイオン電池材料の立役者

 吉野彰氏というノーベル賞受賞者を出したリチウムイオン電池の材料や、スマートフォンの地図・ナビゲーションに欠かせない世界シェア首位の電子コンパス、これまた世界シェア首位のタイヤ用高機能合成ゴム――。旭化成は2000年代まで、こうした世界が目を見張る製品を次々と送り出してきた。だが、この10年、ずば抜けた製品からは遠ざかっている。

 業績をみても21年3月期のROIC(投下資本利益率)は4.9%と3期連続で前年実績を下回った。自己資本利益率(ROE)も同じく3年連続前年割れだ。新型コロナ禍の影響があるとはいえ、ROICは18年3月期からほぼ半分に、ROEは約6割下がった水準になっている。

 もちろん他社を圧倒する製品が生まれていないのは、現経営陣だけの責任ではない。これまでの経営で研究開発力を十分引き出せなかった結果でもある。

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