折れた翼がよみがえることはなかった。三菱重工業は7日、国産ジェット旅客機「三菱スペースジェット(MSJ)」事業から撤退すると発表した。2020年に事実上の開発凍結を表明したが、再起したとしても先行するライバルを前に採算は見込めないと判断。自ら終止符を打つ道を選んだ。事業スタートから約15年。敗因はいくつかあるが、大きくつまずいたのは航空機の安全性について各国の航空当局からお墨付きを得る「型式証明」の取得作業だった。三菱重工グループのエンジニアたちの力不足もあったが、航空産業をつかさどる行政の構造的欠陥も透けてみえる。

 「開発中止に至ったのは誠に残念。再開するに至る事業性を見いだせなかった」。7日、都内で開かれた記者会見で三菱重工業の泉沢清次社長は唇をかんだ。

スペースジェットの試験機(写真:共同通信)
スペースジェットの試験機(写真:共同通信)

債務超過を解消できず

 MSJは2008年、「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称でプロジェクトがスタート。経済産業省が全面支援し、トヨタ自動車も三菱重工傘下の三菱航空機(愛知県豊山町)に出資するなど「国策民営」の色も帯びながら開発が進んだ。

 15年11月に初飛行に成功したが、同年12月に初号機を引き渡す予定だったANAホールディングスに対し4度目の納入延期を発表。その後も2度延期し、航空会社からの信用を失った。

 18年にはMRJの関連資産約4000億円を減額したほか、三菱重工が三菱航空機に対する増資と債権放棄で2200億円を金融支援。しかし、その後も開発費は膨らみ続け、22年3月期末まで3期連続で負債が資産を上回る債務超過に陥っていた。米国ワシントン州にある飛行試験拠点「モーゼスレイク・フライトテスト・センター」も閉鎖し、4機ある飛行試験機のうち3号機の登録を同年3月で抹消。事業撤退は時間の問題になっていた。

 三菱航空機は、ANAホールディングスから25機、日本航空(JAL)から32機、米スカイウエストから200機、ミャンマーのエアマンダレーから10機の計267機のMSJを受注済み。しかし、事業撤退が決まったことで違約金の支払いが発生するとみられ、三菱重工は重い負担を背負うことになりそうだ。泉沢社長はANAなど顧客の航空会社に「申し訳なく思っている」と陳謝した。

 「とにもかくにも型式証明に苦しみ続けた。なにぶん初めての経験で暗中模索だった」。三菱重工でMRJ事業を担当した元関係者はこう明かす。

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