知識を得るための読書も、「量」が必要だと思います。
 MBAでは、課題を提出するのに、毎日数冊、週単位では十数冊は本を読む必要があると言います。

 私も、FFS理論の普及を目的にこの会社を始めた当初は、理論開発者であり博識の小林博士に少しでも追い付こうと、寝る時間を削って毎日数冊読むことを課題にしたこともありました。睡眠時間を削るしか時間を捻出できなかったのです。そして、最初の1年で数百冊を読破し、経営論や戦略論、組織論の基本的な領域をほぼクリアしました。

 最初に量をこなしたことで、おおよその読み方の勘所をつかむことができ、その後はペースを落としても、読書から得るモノの精度は高まったと思います。

 では、「質」はどうでしょうか。
 こちらもやはり、企画書や提案書を書きまくって(量をこなしながら)、上司や先輩から指摘やアドバイスをもらって、質を高めていくしかありません。そうやって勘所を鍛えるのです。

 外資系や内資を問わずコンサルティング会社の新人は、最初の2~3年間、情報収集と調査、分析を徹底的に担当します。それはまさしく「量」と「質」をこなすためです。
 徹夜で仕事するのは当たり前です。時間が足りなければ、寝る時間を削るしかない状態です。その実態は“ブラック企業並み”といわれています。量と質の両面で徹底的に鍛えられてこそ、立派なコンサルタントになれるのです。

 質を高めるには、同世代と議論することも重要だと思います。そのためには、同じ大学や専門性が似通っている相手がいる環境が好ましいのです。

 ついでに言えば、私は「遊びも徹底すること」が重要だと思っています。ただ単に提供されたモノに乗っかるだけの遊びではなく、自ら遊びを創造することで、「構想力」「企画力」「調整力」さらには「交渉力」も鍛えられます。

 コンサルティング会社のO社長は、「遊びこそクリエイティブを鍛える」との考えから、月例で「遊びの創造」のワークショップを開催していました。
 私も20代後半から30代にかけてよく参加していました。O氏は、「『ルールを作る』ことは、『ビジネスセンスを鍛える』ことに通じるし、そもそも『リーダーの役目』なんだ」と持論を展開していました。私も同じように感じています。

 そのワークショップでは、対戦相手や同じチーム員との対話も必要で、遊びを通じて調整力や交渉力がおのずと鍛えられるようにも設計されていました。

 余談ですが、最近はゲームやキャンプでの「一人遊び」に興じている人を多く見かけますが、「対話がないと学びも少ないのでは?」と個人的には疑問です。その点、eスポーツは期待が持てそうです。

理不尽なものをすべて避けていいのか?

 限界への挑戦とともに、「世の中の理不尽さ」の体感も必要だと思っています。

 そもそもビジネスの世界は、そんなに理路整然と動いているわけではありません。どちらかと言えば、かなり理不尽な世界です。それをいい意味で受け入れる必要があります。

 以前、ある会社の教育担当者から、最近の新人についてこんな話を聞きました。

 「先日、新人研修で教えていると、『これ無駄じゃないですか? なんでやるんですか? こう変えましょうよ』と意見した新人がいたんです。その新人の提案は、まさに『安全基準で定められている手順』だったんですよね」

 同様の話が多くの企業の担当者からも聞こえてきました。私自身、講師を担当した新人研修合宿で同じことを突っ込まれた経験があります。

 先人たちが残した手順や基準、規範を、「無駄だから」「理不尽だから」「意味が分からない」という理由だけで変えようとする。こうした傾向が最近の若い人たちにはあります。

 それらの手順や基準、規範は、本当に「単なる無駄で理不尽なもの」なのでしょうか。

 「マニュアル」とは本来、業法やコンプライアンス等を盛り込んだうえで企業が策定した、その時点における“ベストプラクティス”です。新人の彼らがやるべきことは、それを徹底的にやり切って、まずは習得することです。

 一度、徹底的にやり切って、基本の考え方や動きが身に付いたとき、そのマニュアルに示された動作の意義、根回しの意義が理解できるのです。
 しかし、そこまで考えが至らず、表面的に捉えて不満や不平を言ったり、習得せずに「楽な方法」に流れたりする新人が多いのです。

 一方で、余談になりますが、マニュアルに対して従順過ぎるのも考えものです。マニュアルの意義も考えずに従順にこなし、うまくいなかいと「マニュアルが悪い」と言い出す“アホな20代”もいるということです。

 これは、アルバイトの現場などで、「マニュアルの意味をちゃんと教えられなかった」ことがマイナスになっているかもしれません。それに関しては、大人側の問題です。上司や先輩など、教える側がちゃんと伝えましょう。

 話を元に戻すと、会議における「根回し」や「コンペ」や「随契方式」も、考えれば理不尽なものです。しかし、日本的な意思決定においては、ある程度必要なプロセスなのです。それはそれで必要なものとして機能し、世の中に残っているのです。

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