叱られた記憶は褒められた記憶の3倍、記憶に残る

叱られると、カッとして言い返そうとしたり、目をそらしてその場から逃げたくなったり、身がすくんでしまったり。これらは扁桃体の活性化によるもので、生き物として備わった仕組みなのですね。

篠原さん:そうなのです。飛び出しそうな子どもに向かって叫ぶのは緊急事態の行動で、相手の扁桃体が活性化すれば動作は瞬時に止められるので、「飛び出す行動」を止めるには非常に効率的なやり方なのです。そもそもそんなシーンで褒めてもしょうがない。前回の「褒め」テクのように、「一歩踏み出す前に道路が安全かどうかを考えられたあなたは偉いね」なんて悠長に言っても危険は回避できません。

なるほど、このような危機的な状況に陥ったときの「叱る」ことの影響はよくわかりました。日常生活の中で、親が子を叱ったり、上司が部下を叱ったりする際も、基本的に同様の仕組みが働いているわけですね。しかし、安易に「叱る」を繰り返すと、知らない間に相手を傷つけてしまうことがあります。

篠原さん:まさに“叱ることの副作用”ですね。そこにおいても、知っておきたい脳の仕組みがあります。

 扁桃体は、快・不快、恐怖や不安などの感情をつかさどります。楽しい体験や嫌な体験をしたとき、その体験は周囲の環境と強く結びついて記憶されます。同じ状況に再度遭遇したときに、これから起こる結果を予測し、対応するためです。

 知っておきたいのは、叱られて「怖い」と感じた体験は、いつまでも鮮明な記憶として残りやすいこと。その記憶の残りやすさは、褒められるような楽しい記憶の3倍強く刻まれやすいと推測されます。なぜなら、うれしいことよりも恐怖の記憶のほうが優先度が高いから。次に同じような危険に遭遇したときに、回避できるようにしておこうという本能が働くからです。扁桃体から海馬に記憶が送り込まれ、その記憶は強く刻まれます。

うれしいことのほうをしっかり覚えておけるほうが幸せな気がしますが。

篠原さん:動物がエサを探しに行って、おいしいエサ(報酬)にありついたとき、「次にまたあそこに行ってみよう」という意欲が高まり、「線条体」が発火します。しかし、あるときその場所に行く途中でライオンに襲われたら? これが「叱られて扁桃体が活性化した」状態です。一度襲われたが、命からがら住処に帰ってきた。報酬につられてまたノコノコと同じ場所に行かないために、襲われた恐怖記憶のほうを強く刻む仕組みが脳にはあります。怖い記憶をすぐに忘れる個体は残念ながらすぐに命を失ったでしょう。

叱られる記憶は、褒められる記憶よりも残りやすい。こちらは軽く叱っただけのつもりでも相手には強い印象として受け止められてしまうのは、生き物の仕組みなのですね。確かに、叱られた側は「あのとき、こう言われた」という台詞を鮮明に覚えているけれど、叱った本人はすっかり忘れている、ということがよくあります。

「修正してほしい行動」と「代替行動」をセットで伝えよう

やみくもに叱ってしまい、相手にただの「嫌な記憶」として処理されるというのは避けたいですが、叱る際にこちらの言いたいことをしっかり伝えるにはどのようにすればいいのでしょう。

篠原さん:そうですね。叱る側は、ちょっと頭をひねらないといけません。

 ありがちなのは、言いたいことだけ言って「あとは自分で考えてね」と放置すること。それでは嫌な記憶が刻まれるだけ。その部下は職場に来ることすら嫌になってしまうかもしれません。これが叱ることによる副作用です。

 副作用を最低限に抑えながら叱る目的を達成するには、「修正してほしい行動」と、「どういう行動をしてほしいか」という代替行動をセットにして伝えること。脳で説明すると、「扁桃体で止めた後に、線条体のやる気行動のネットワークへとつなげる」ということです。

 扁桃体から、線条体のやる気ネットワークにつなげるには、前回の「褒め」と同様、具体的な行動内容を伝えましょう。

 ただし、上司が頭ごなしに自分の考える解決策を指示してしまうのはNG。互いの言い分をすりあわせて、現実的な落としどころを見つけるという“ネゴシエーション”が不可欠です。実はネゴシエーションは面倒だしお互いに心理的負担もあるので避けられがちです。「一発怒ってこの問題は終了」にしたいのが本音です。しかし、「じゃあ、次はどうするか」まで両者で決められると、結果は大きく変わります。

互いの言い分をすりあわせ、現実的な落としどころを見つけるときにはどんなことに注意すればいいですか。

篠原さん:例えば、部下一人ひとりの個人差を見ることも大事。新しもの好き、刺激が好き、という、「新奇探索性が高いタイプ」の部下なら小さなネタでもいいから新しさのある課題を与えて、スケジュールも短めにしてさっさと仕上げさせる。未知のことに対して不安を抱きやすい「損害回避性が高いタイプ」の部下なら、最初の段取りは手伝って、そのあと本人が始めやすくするなどを手助けするといいでしょう。こうして相手の“快”を刺激します。

 いずれにしても最後に「あなたのこういう行動については、いつもすごく助かっているよ」と「褒め」で締めくくることも大切です。

その一言が大事ですね。それにしても、叱られたときに身がすくむのは、ライオンににらみつけられたような状態、と思うと納得がいきます。

篠原さん:叱られた部下がまた次の課題にチャレンジする……つまり、あえて怖い現場に行くことを促すには、繰り返し叱るよりも、「あそこに行ったらいいことがあるよ」と思い出させること、つまり、褒める=喜びを想起させる回数を増やすことのほうがずっと効果的なのです。

 サバンナに生きる動物であれば、怖いライオンがいる場は避けて違うエサ場を探しに行けばいいのですが、職場となると「二度と行かない」わけにもいきません。柔軟に組織を移っていけるよう「雇用の流動性」を高めるべき、と議論がされていますが、本質的に雇用関係がある限り、人間関係の摩擦からは逃れられません。

そういうときにも、脳の仕組みとして理解しておくと、怒りや恐怖、傷つきから少し離れた「メタ」な視点で状況を眺められそうです。

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 次回は、気持ちが沈んだときに「背筋を伸ばす」「上を向く」といった体からのアプローチで心を上向きにするなど、心をポジティブモードにするための秘訣について聞く。

篠原菊紀(しのはら きくのり)さん
公立諏訪東京理科大学工学部情報応用工学科教授。医療介護・健康工学研究部門長
篠原菊紀(しのはら きくのり)さん 専門は脳科学、応用健康科学。遊ぶ、運動する、学習するといった日常の場面における脳活動を調べている。ドーパミン神経系の特徴を利用し遊技機のもたらす快感を量的に計測したり、ギャンブル障害・ゲーム障害の実態調査や予防・ケア、脳トレーニング、AI(人工知能)研究など、ヒトの脳のメカニズムを探求する。

[日経Gooday(グッデイ)2022年10月27日掲載]情報は掲載時点のものです。

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