
『後世への最大遺物』
日本のキリスト教思想家である内村鑑三の講演録。後世に残す価値があるものについて論じる。
後世に残せるのは「勇ましい高尚なる生涯」のみ
堀内勉(以下、堀内):孫さんが選んだ「読むべき古典この1冊」は内村鑑三の『後世への最大遺物』。いつごろ読まれたんですか?
孫泰蔵氏(以下、孫):大学生の頃です。講演録ということで、読みやすそうではあるけれど、論考の深まりなどはあまり期待できないかななどと勝手に思いつつ、ちょっと抵抗感を持ちながら読み始めたのですが、これがもうドンドン引き込まれて。「最高だぜ!」と興奮しながら一気に読み切りました。

Mistletoe 創業者
日本の連続起業家、ベンチャー投資家。大学在学中から一貫してインターネットビジネスに従事。その後2009年に「2030年までにアジア版シリコンバレーのスタートアップ生態系をつくる」として、スタートアップのシードアクセラレーターMOVIDA JAPANを創業。そして2013年、単なる出資に留まらない総合的なスタートアップ支援に加え、未来に直面する世界の大きな課題を解決するためMistletoeを設立。その課題解決に寄与するスタートアップを育てることをミッションとしている。
堀内:この本は「後世への最大遺物は金である」というところから始まりますね。
孫:「え、金なの?」と冒頭から大いに戸惑わされます(苦笑)。しかしまあ、お金は大事だよなと思いながら読んでいくと、「金は残せない」と。そうだよな、金が全てではないよな、と読み進めると「事業を残しましょう」となって、さらに読み進めると……。
堀内:事業も残せない、と。
孫:次は「思想や人を残しましょう」。うんうん、いいじゃないか!と共感し始めるものの、読み進めると、これも残せないという。「これじゃ何も残せないじゃないか……」とだんだん暗い気持ちになっていきます。
堀内:分かります。
孫:しかし最後の最後、内村鑑三は、本当の遺物は「勇ましい高尚なる生涯」であるという結論にたどり着きます。
初めて読んだ時、この展開に大きく膝を打ちました。これは講演録ならではで、実直なキリスト教思想家というイメージとはまた違う、ウイットに富んだ人となりが立ち現れます。そして、こうまで修辞を尽くしていることから、彼がこの結論をいかに印象深く、多くの人の心に刻みつけたいのかという内なる強い意志までひしひしと感じられて、もう……。
堀内:最高だぜ!
孫:はい(笑)。
堀内:内村鑑三の言う「勇ましい高尚なる生涯こそ誰にでも残せる最大遺物」。私も本当にそうだと思っています。お金を稼ぐとか、事業を成功させるとか、立派なことをして偉くなる必要はない。ちゃんと生きることは、やろうと思えば誰にでもできます。しかも、人がちゃんと生きている姿は、周りの人に伝播(でんぱ)していきます。
私はかつて自分のことをいわゆるエリートだと思っていて、日本興業銀行(現みずほ銀行)に勤めていた時もエリートコースに乗って「このまま偉くなっていくのかな」と思っていました。でも、いざ銀行を離れてみると、自分には何もないと気づきました。お金があるわけでもないし、組織を離れれば地位も失ってしまう。そうなった時に『後世への最大遺物』を思い出し、ちゃんと生きることは唯一できることだな、と思ったんです。一寸の虫にも五分の魂とでもいいますか、卑屈になる必要はない、と。
孫:人間としての矜持(きょうじ)みたいなものでしょうか。
堀内:そうかもしれません。
孫:私も今やアラフィフとなり、自分自身でそれなりに経験を積み、後世に何を残すのかという課題をリアルに考えられる年代になりました。そうなって改めて『後世への最大遺物』を読み直すと、大学時代に読んだ時とはまた違うように伝わってきます。ああ、本当に「勇ましい高尚なる生涯」を生き切りたい、と。
そして、古典というものの素晴らしさも改めて感じています。古典には、偉大なる先人たちが人生をかけて考え抜いたことが書いてあります。そこからさらに後世の人たちが影響を受けて、積み上げて、また思想を展開していく礎ともなる。そして、そうして我々にもたらされた思想体系が、自分の頭で考える時の「壁打ち」の相手になってくれたり、人との会話をより深める導線になってくれたりします。古典、すごいな、と改めて感じています。
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