ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)元社長の丸山茂雄氏は、DREAMS COME TRUE(ドリカム)などを世へ輩出した日本の音楽業界の重鎮だ。その丸山氏が「レコード会社はもういらない」と話す。真意はどこにあるのか。

丸山茂雄(まるやま・しげお)氏
早稲田大学商学部卒、読売広告社を経てCBS・ソニーレコード(当時)に入社。1998年にソニー・ミュージックエンタテインメント社長。佐野元春氏、ドリカムなどを輩出したとされ、小室哲哉氏のマネジャーも務めた。「丸さん」との愛称で慕われている。(写真:陶山勉)

音楽産業に長年携わってきましたが、レコード会社の役割はどのように変遷してきたのでしょうか。

丸山茂雄氏(以下、丸山氏):音楽って、歴史とリンクしているんだよな。1960年代までは歌謡曲、LPレコードが記録媒体、ラジオがプロモーションメディアだった。当時、作詞家や作曲家はレコード会社の社員であって、専属の作曲家がその会社の歌手にしか曲を書かない形だった。いまでいう事務所やプロダクションも、レコード会社の宣伝部という位置づけ。

 だが、戦後しばらくして、どうも歌手をテレビに出すと売れるらしいと分かってきた。ラジオの時代は米軍からもらったレコードを流しておけばよかったけど、白黒テレビの時代だと単にレコードを流しているわけにはいかない。米国で流行している曲を、日本の歌手にカバーしてもらおう、と。テレビ局には日本語訳を作って譜面に落とすなんてノウハウもない。そんな時に、渡辺晋さんが立ち上げた芸能プロダクションのナベプロ、米国の曲をカバーした中尾ミエさんといった歌い手が出てきた。

音楽を聴くメディアが映像に移り、作曲家や作詞家、歌手もレコード会社から外へと出ていったのですね。

丸山氏:日本はある種、英国や米国の音楽をコピーしたところからスタートした。コピーしたからといって、世界にウケないわけでもないけど、売れなかった。でも、世界に行けなくたって、日本で売れればそれなりのお金になる。まず日本を制覇して、その後に世界に行こうとアーティストは考える。

 そしてヤマハなど楽器メーカーもあったから、80年代にはJロックが流行した。バブルを迎えたときはディスコがメディアとなって、さらに音楽が新しい時代を迎えていった。

最初から海外で稼ぐ発想の韓国

日本の音楽市場は世界2位ともいわれていますが、ボーイズグループ「BTS」をはじめ国際的に活躍する韓国発のアーティストが増えています。

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