十七世紀黄金時代のオランダに生まれた天才画家レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)も、最晩年に梅毒の男(『ヘラルド・ド・ラレッセの肖像』)を描いている。だがデューラー作品と違い、レンブラントが描いたのは実在の同時代人。この時には相手が梅毒とは気づかなかった可能性がある。

レンブラント・ファン・レイン『ヘラルド・ド・ラレッセの肖像』(1665)Portrait of Gerard de Lairesse(提供:Science Photo Library/アフロ)
レンブラント・ファン・レイン『ヘラルド・ド・ラレッセの肖像』(1665)Portrait of Gerard de Lairesse(提供:Science Photo Library/アフロ)

 ラレッセはリエージュ(現ベルギー)生まれで、二十一、二歳のころ妻とオランダに移住した。母語はフランス語だったので、オランダ語は初めのうち苦労したようだ。父も兄も画家で、彼も神話や歴史画を得意とする古典派の画家となった。後に美術理論の書も出しており、オランダよりフランスで評価が高く、「オランダのプッサン」と呼ばれる。

 レンブラントの透徹した目で描かれたラレッセは、この時、なんとまだ二十五歳。左目の下のたるみ、口元の発疹ないしその傷跡で老けて見える。悲しげな目。鼻はいわゆるサドル鼻だ。これは遺伝や感染によって鼻中隔の壊死が起こり、鼻の支えがなくなって凹み、短くなったもの。

 当時はまだ先天性梅毒(母体内で胎盤を介して子が感染)について何も知られていなかったので、ラレッセの病気は後世の医学者がレンブラントの絵を見て気づいたもの。ラレッセが五十歳で失明したことも、梅毒説のもう一つの有力な証拠となった。

 画家が失明するのは致命的だ。しかしラレッセは不屈の意志で教育者となり、書を著し、さまざまな症状に耐えつつ七十歳まで生き抜いたのだった。

 何世紀にもわたり梅毒治療に水銀が効くと信じられていたので、ラレッセも使っていたかもしれない。モーツァルトの急死についても、梅毒治療用の水銀を過剰摂取したのが原因との説がある。真偽のほどはわからない。性病が恥と結びついているためだ。したがって梅毒が直接の死因でなくとも、水銀が死を早めた例は少なくなかったのではないか。

 いずれにせよ、著名人なら本人はもちろんのこと、同時代及び後世の心酔者も実状を隠したがる。そこで梅毒罹患とされる著名人に関しては、ほとんどの場合、異論が唱えられる。それを承知で、有名な罹患者をいちおうあげておくと――ヘンリー八世、フェリペ四世、ニーチェ、シューマン、モーパッサン、ボードレール、etc.

 二〇一七年、東京と神戸で開催の「怖い絵展」(筆者が特別監修)にも、梅毒罹患者(しかも女性)が登場する作品を出展した。十八世紀イギリスの人気画家ウィリアム・ホガース(1697-1764)のエッチング『ジン横丁』がそれだ。

ウィリアム・ホガース『ジン横丁』(1750-1751)Gin Lane(提供:Science Photo Library/アフロ)
ウィリアム・ホガース『ジン横丁』(1750-1751)Gin Lane(提供:Science Photo Library/アフロ)

 本作は主催者側の思惑以上に若い人からの反響が大きかった。安酒ジンに酔いつぶれる人々の悲惨な描写に対し、現代日本の若者がツイッターで「ストロングゼロだ!」と盛り上がり、ジンの恐怖を我が事と感じているらしいのにずいぶん驚かされた。筆者も担当者もその時までストロングゼロという、安くて強くて若者向けの酒の存在を知らなかったのだ。