後に梅毒と名付けられる性感染症がヨーロッパの文献に初めてあらわれたのは、十五世紀末。折しもフランス軍がイタリアのナポリに侵攻した時期にあたり、軍の帰還とともに各地で次々に感染者が出た。イタリアは「フランス病」と呼び、フランスは「ナポリ病」と呼んで非難しあったが、発生源についてはコロンブスにより新大陸からもたらされたものとの説が有力だ(異説もあるが)。
当時の人々が梅毒のアウトブレイク(感染症の突発的発生)に大パニックとなったのは、性病としては症状が急性且つ激烈だったためと言われる(初期のエイズに世界中が震え上がったことが思い出されよう)。
現代では、梅毒が長い潜伏期間を持ち、四段階でゆっくり悪化してゆくことが知られ、さらにペニシリンなど治療薬もあるので、罹患、即、死病、というイメージは全くない。だが感染症の常として、流行初期には重症化は急激だった(慢性型へと変異したのは数十年後)。
つまり「フランス病」ないし「ナポリ病」は罹ってから日をおかず、今で言う第三か第四段階の症状を呈したと思われる。治療法がないので、全身の発疹、リンパ節の腫れ、激痛、顔面の変形、失明、脳障害、大動脈瘤などを次々起こし、かなりの確率で命を落とした。
一四九六年、まさにパニックの只中、ドイツで出版された医学書に、ヨーロッパ初とされる梅毒感染者の姿が載った。ドイツ・ルネサンスを代表する画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528)による木版画『梅毒の男』だ。服装から傭兵と推測されている。

ヨーロッパでは各国で局地戦が絶えず、傭兵の需要も減らなかった。彼らは戦場から戦場を渡り歩き、各地の娼婦とも関わって梅毒をまき散らしたので、「業病」の主犯と考えられていた。本作は梅毒になった傭兵の星回りを示すものだ。この時代の天文学は占星術であり、医術でもあった。
――派手な羽根付き帽をかぶり、赤いマントをはおった長髪の傭兵は、ニュルンベルク出身であろう(両側に描かれた二つのニュルンベルク紋章がそれを仄めかす)。顔、首、腕、腿にかなり大きな、無数の水疱性発疹。すでに全身が侵されているのは間違いない。痛みをこらえているかのような表情だ。
頭上に十二星座。1484という数字は本作の制作年ではなく、コンジャンクション(複数の天体が近接し、力が重なり合うこと)の数字を示す。医学書の著者は、この傭兵の梅毒罹患が星の配置の悪さからきている、と結論づけているらしい。
それにしても慢性型に変異するまで、急性梅毒によって命を落とした者はどれほどいたのか? 四百年後の第一次世界大戦中(まだペニシリンはできていない)の梅毒死者(多くは兵士とその関係者)でさえ二百万から三百万と推定されているのだから、当時の惨状は想像に余りある。
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