コロナ禍で運命の暗転した恋人たちが、いったい世界中でどれほどいることやら。中にはロミオとジュリエットのように、最悪の事態に陥った例もあったかもしれない。
シェークスピアが悲劇『ロミオとジュリエット』を書き上げたのは、十六世紀末。ロンドンは一五八二年から一六〇九年にかけて五回もペスト流行があり、芝居小屋も開幕と閉鎖が繰り返されていた。悲劇の舞台が十四世紀ヴェローナに設定されたのは、その頃のイタリアもまたペスト禍の只中だったのを踏まえてのことだ。
物語終盤、ロミオは町を追放され、ジュリエットは親が決めた相手と結婚させられそうになって神父に相談する。すると神父は二日ほど仮死状態になる薬を与え、それを飲んだジュリエットは死んだと思われて墓所に入れられる。神父はこのことを手紙にしたため、別の神父に頼んでロミオに届けてもらおうとする。
ところがその神父が旅の途次ペスト患者と接触したため、数日隔離されるというアクシデントが勃発。誰にも手紙を託すことができなくなった。ロミオは重要な情報を知らされず、ジュリエットがほんとうに亡くなったと思い、彼女のそばで毒をあおぐ。やがて目覚めた彼女もまた、ロミオの遺体を見て我が身に剣を突き立てた。神父が墓所に走り込んだ時、若い恋人たちはすでに冷たい骸になっていた。
――携帯がない時代の、もとい、疫病の時代の悲恋。
ペストが十四世紀のヨーロッパに凄まじい爪痕を残したことは、「中世の疫病パンデミックと『死の舞踏』」で書いた。以後、各地の港湾都市が特に神経質になったのは無理もない。人流も物流も活発な場には、ペストもいっしょに運ばれてくるからだ。
ヴェネチアの例をみよう。
百二十もの島々から成るこの美しい水の都も、ペストの脅威を逃れることはできなかった。そこで十四世紀後半、ヨーロッパ初と言われる検疫所が、ヴェネチア本島への玄関口にある小さな島ラッザレット・ヌォーヴォに建てられた。原因も治療法もまだ全く明らかになっていない時代にもかかわらず、発病するまでに潜伏期間があること、病人と健康人を切り離せば予防になることを体験的にわかっていたのだ。
イタリアの画家フランチェスコ・ティローニ(1745頃~1797)が水彩で『検問島ラッザレット・ヌォーヴォ』を描いている。
十八世紀の作品なので、検問所の他に商品倉庫なども増築され、島が手狭になっているのがわかる。倉庫は、密閉空間だと空気が淀んでペストが蔓延するとの考えから、オープンスペースだったらしい。
ヴェネチアに来航する船舶は全て、まずこの島で検疫を受け、発症者がいれば隔離病棟に入れられる。たとえ発症者がいない場合でも、船は四十日間(時に二十日や三十日の場合もあった)湾外で待機。この期間に新たな発症者が出なかったと確認されてようやく、上陸することができた。
「検疫・隔離」という意味の英語quarantineは、イタリア語の「四十日(quarantina)」に由来する。この度のコロナ禍がイタリアで爆発し、最初に外出制限が発令された頃、「クアランテーナ」という言葉が人々の口からひんぱんに発せられたとの記事を読んだ。歴史用語の響きが恐怖をさらに増幅させたであろう。
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