昨今、世界各地で大規模な森林火災のニュースが駆けめぐっている。だがもちろん人類が登場する以前から、雷や乾燥など自然発火による山火事はひんぱんにあった。それを火「災」と捉えるのは、あくまで人間にとって災いの域に入るからで、山が燃えても野焼きならそうは呼ばない(鳥や獣や虫たちの災難)。

 山火事を描いた作品は驚くほど少ない。火山噴火の絵画は多いので、水と同じく火もまた画家の創作意欲を刺激するのは間違いないのに、これはどういうことだろう。神の怒りを想起させる派手な噴火ではないからか、それとも単に画家が山火事に遭遇する確率の問題か? 

 初期ルネサンスのイタリア人画家ピエロ・デ・コジモ(1462-1522)が、二メートルの横長作品『森の火事』を制作している。

ピエロ・デ・コジモ『森の火事』Bildfolge zur Frühgeschichte der Menschheit, Szene(1488頃)(提供:Bridgeman Images/アフロ)
ピエロ・デ・コジモ『森の火事』Bildfolge zur Frühgeschichte der Menschheit, Szene(1488頃)(提供:Bridgeman Images/アフロ)
[画像のクリックで拡大表示]

 同時代人から変人と呼ばれたピエロだからこそ、山火事がテーマに選ばれたのかもしれない。彼が実際に山火事を見たことがあるかどうかは不明。なんともリアリティのない奇妙な仕上がりの、しかし面白い絵だ。

 ピエロは、古代ローマ詩人ルクレティウスの『事物の本性について』を基に、人間が火に対する恐れを克服し、火を利用する術を覚えたことで文明が生じた、という論を絵画化したと言われる。森の手前で消火活動中の男は恐れの克服例で、中景右で革製の上着を着て牛を追う男は、文明化の例のようだ。また紀元二世紀に絶滅したヨーロッパライオン(雄と雌)を描き込むことで、画中に長い時の流れを示したのだろう。

 画面中央で燃えさかる森。奥の樹木はマッチ棒状態であり、右も左も上部から黒煙がたちのぼり、多くの鳥が棲み処を捨てて飛び去ってゆく。後景では動物たちも一目散に逃げだしている。前景にはライオン、熊の親子、牛、鹿、豚、鷺など、家畜も野獣もともに火から逃れてほっとした様子だ。

 これほど多くの動物や鳥を、森は内包していたのだ。山火事がなければ人目に触れなかったはずの生き物まで出てきた。中景、やや左寄り、森の近くに二頭の豚。その一頭が、なんと人面豚である。丸顔の可愛い顔でまっすぐこちらへ視線を向ける。そのすぐ前で、樹上の鷲を見上げる鹿も、横顔から人面鹿とわかる。ピエロの時代には、獣姦によって生まれた仔はこうした姿になると考える者もいたに違いない。

 狩猟民族のヨーロッパ諸国で獣姦が問題視され続けていたのは、中世の動物裁判記録からも明らかだ。人間の相手をした動物まで有罪で処刑された事例が多数ある。そして(何と!)今もEU加盟国の大半が、獣姦に関する刑法を定めている(日本にはない)。

 二〇一五年にデンマークが遅ればせながら獣姦禁止法を定めたが、その理由が衝撃的だった。デンマークなら逮捕されないと、獣姦愛好家が他国からおおぜい集まってきていたからというのだ。動物愛護団体の突き上げもあって、法整備がなされたらしい。

 世界は広く、幾層にも重なり、闇は深い。

 ピエロの描いたように、山火事という災厄によって人面獣が陽の下へ出てきた。一つの闇が露わになったのだ。コロナ禍の今も、世界中のいくつもの闇に光が当てられているのが現況ではないか。

 都市火災の作品も見てみよう。

 俗に「世界三大火事」とされるのは、ローマ大火(紀元六四年)、江戸の明暦大火(一六五七年)、ロンドン大火(一六六六年)。江戸とロンドンはほぼ同時代の災厄だ。この頃の推定人口は江戸五十万人、ロンドン四十万人。ちなみにパリは四十五万人(江戸の大都市ぶりがわかる)。

続きを読む 2/2

この記事はシリーズ「中野京子の「災厄の絵画史」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。