ヨーロッパには骸骨寺やカタコンベ(地下埋葬所)があり、観光名所にもなっている。そこは人骨がひしめき(場所によっては数万体)、髑髏や骨を組み合わせて作ったシャンデリア、楽器、紋章などが飾られている。文化の違う者にはそうとうな驚きで、死者への冒涜と思えるほどだが、欧米人にとっては火葬のほうがよほど残酷と映るらしい。キリスト教的考え方だと遺体は死後の復活に必要なので、あくまで土葬でなければならない。
それにしても西洋絵画は――髑髏を抱く聖人や、骸骨姿の死神など――どうしてこんなに人骨であふれているのだろう? いや、その前に、なぜヨーロッパでは、実際にこれほど大量の人骨が残っているのだろう?
土壌なのだ。土壌が違う。
日本の土は(砂地を除いて)概ね火山性で酸性度が高いため骨を溶かす。一方、ヨーロッパの土の多くはアルカリ性か中性のため、いつまでも骨は形を崩さずに残る。つまりふだんから骨を目にする機会が多かった。とりわけパンデミックが発生して遺体を埋める余裕がなくなった場合がそうだ。
骸骨寺の誕生も、ペストの産物という。あまりにたくさんの死者が出て個々の墓が不足し、おまけに誰の骨かもわからなくなれば、一カ所にまとめるしかない(だからといって装飾品にする感覚は、理解不能だが……)。
フランドルの画家ピーテル・ブリューゲル(1525頃~1569)が『死の勝利』の中で、生きた人間よりずっと生き生きと暴れまわる骸骨たちを描いている。
骨だけになると性別が消え、個々の区別もつかなくなるが、この絵の彼らのうち多くがなかなかのユーモアの持ち主なのは間違いない。まずはそこだけピックアップして見てみよう。
画面右下、宮廷の情景。世の中が大変なことになっているのに恋人たちには相手しか見えず、のんびり音楽にひたっている。そのすぐ後ろでさりげなく弦楽器で伴奏する骸骨は、やがて彼らが自分に気づいて悲鳴をあげるのを期待している。食卓のテーブルの向こうでは、青い宮廷道化服を着た骸骨が、女官に髑髏をのせたプレートを差し出してショックを与え、ニヤニヤ笑いの態。
また画面中景左に見える教会の廃墟では、僧侶のマントをローマ風にまとった一群が厳粛さを装って行列中だ。仮面舞踏会のつもりかもしれない。勝利の長ラッパを吹く者もいる。いくつもの壁龕(へきがん)には髑髏を飾るが、底からのぞくのは死に瀕する人間の顔、というのが少し笑える。
笑いと恐怖は相性がいいのだ。ホラー映画はそれを熟知しており、小さな恐怖が即座に笑いで否定された後、本物の、身も凍る恐怖が押し寄せてくるパターンはおなじみだろう。
死の無慈悲さも容赦なく描かれる。画面下左寄りで、痩せ犬が赤子を生きたままに食おうとしている。左端には、持てる財宝で取引しようとする王に、骸骨が残り少ない砂時計を突きつける。その横を、蒼ざめた馬に乗った骸骨が鐘を鳴らしながら通る。引いている荷車には髑髏が満杯だ。
中景では骸骨が地上の人間を漁網で捕らえ、川に投げ込んで溺死させようとしている。中景右端では城塞にみたてた盾に向かい、骸骨の大群が押し寄せる。人間も必死で防戦中だが、形勢ははかばかしくない。
王も赤子も僧も騎士も農民も、一挙に命を奪うものといえば疫病だ。パンデミックの凄まじさがここに繰り広げられている。
後景では戦争。左の空は火災で赤く染まり、海上では軍艦が座礁、沈没し、曲がりくねった道で人間軍団と骸骨軍団が激突する。山の上では人間ばかりが首を刎ねられ、拷問具たる車輪刑に掛けられ、絞首刑にされている。戦争と疫病はたいてい手を携えて襲ってくる。戦争は疫病の巣なのだ。それにしてもこれほどの大量死。ペストをおいて他にない。
ペストはヨーロッパのトラウマだ。六世紀から十八世紀にかけて、繰り返し繰り返し津波のように無慈悲に襲いかかり、屍の山を築いた。その最大のパンデミックは十四世紀のもので、一三四七年からおよそ半世紀にわたって猖獗(しょうけつ)を極め、ヨーロッパ人口のおよそ三分の一を減らしたと言われる。
はなはだしい数の「死の舞踏」や「メメント・モリ(=死を想え、死を忘れるな)」の図像が出回った。特に「死の舞踏」というテーマは、ペストの衝撃がもとで生まれている。骸骨姿の「死」が、あらゆる階級の人々の手をとり、死の輪舞へ導くという絵画及び彫刻表現だ。
地上の神たる王や神に近い聖職者さえ、寿命ではなく、疫病で死ぬ――そうした「死の平等主義」は、堅固な階級社会に慣らされた素朴な民衆をどれほど覚醒させたことか。とりわけ聖職者への幻滅は大きかった。信者を助けるどころか己を助けることもできず、手をこまねくばかりだった教会の権威は失墜し、ペスト終焉とともに中世が終わってルネサンスの誕生、さらには宗教改革、という流れは腑に落ちる。
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