本作は1847年にロンドンのブリティッシュ・インスティテュートで展示された。たとえ無名画家の作品であろうと、飢餓の真っ最中での当事者の怒りの絵筆は、イギリスのエリート美術集団の心をゆすぶったはずだ。そう考えたいところだが、違った。この時、彼らの目を一番惹いたのは、かつてのアイルランド宮廷を華やかに描いた(今ではもう忘れられた)別の画家の作品だった。アイルランドから強制輸入した小麦でパンを作り、たっぷり食している彼らには、異教徒の貧民の飢餓は「天意」なのだった。

 ではこちらのリアルなスケッチならどうか?

 同年、「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に掲載された、アイルランド人イラストレーター、ジェームズ・マホニー(1810~1879)作『カヘラの男の子と女の子』だ。

ジェームズ・マホニー『カヘラの男の子と女の子』Famine en IRLANDE, Deux enfants cherchant des pommes de terre oubliees dans les champs(1847)(写真提供:ALBUM/アフロ)
ジェームズ・マホニー『カヘラの男の子と女の子』Famine en IRLANDE, Deux enfants cherchant des pommes de terre oubliees dans les champs(1847)(写真提供:ALBUM/アフロ)
[画像のクリックで拡大表示]

 画家本人が記すところによれば、カヘラの道路で飢えた子供たちがジャガイモを探して地面を素手でほじくっており、そこからそう遠くない場所で6人の死体が埋葬もされぬまま野晒しになっていたという。

 こうした惨状をイギリスにも広く知らしめたいと、美化もせずありのままに描いたのだ。画面の子供たちは祖父母にも父母にも先立たれたのだろう。服はぼろぼろに破れ、裸足だ。事、ここに至るまで、どんな辛酸を嘗めてきたのか、子供らしさはすっかり失われ、痩せこけて険しい表情に胸が痛む。

 だがこれを見ても、なおイギリスの反応は鈍かった。しかも先述したように、飢饉の5年間、ずっとアイルランドは食料をイギリスに輸出させられ続けたのだ。イギリスの援助はと言えば、建設などの公共事業を行って雇用を促進しようとしたこと(飢えて死にそうな者に肉体労働の提供とは……)、世界中に義援金を求めてそれを管理したこと(中抜きが疑われる)、そしてヴィクトリア女王がポケットマネーから二千ポンド(世界有数の大富豪なのに)を寄付したことくらいだ。

 最後の件に関しては、さらにひどいおまけがつく。オスマン帝国のアブデュルメジト一世が一万ポンドの支援金を発表すると、イギリス政府はあわてて一千ポンドにしてほしいと頼んだのだ。ヴィクトリア女王の寄付を上回るようでは外聞が悪いからだ。アブデュルメジト一世はそれを呑んで現金は一千ポンドに減らしたが、その代わり船に食料を満杯にして、イギリス側の妨害にもめげずアイルランドの港へ放置するという粋な計らいをしている。

 アイルランド人を無作為に見捨てたとしてイギリスが公式謝罪したのは、実に1世紀半も経った1997年、ブレア首相時代だった。

 ジャガイモ飢饉による犠牲者の正確な数字は、国勢調査が確立していなかったので推定でしかないが、飢饉勃発からの数年で餓死ないし栄養失調からくる病死者数が、およそ100万から150万、その後アイルランドを見限ってイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアへ移住した人数がやはり100万以上いたという(船旅途中の死者もそうとう多かった。特に子供の大部分は到着前に死んでいる)。

 アメリカへ渡った農民の一人に、ジョン・F・ケネディの曽祖父がいたことは広く知られている。もしジャガイモ飢饉がなければ、ケネディ大統領はこの世に存在しなかったかもしれないのだ。運命とは不思議なものだ。