さて、この遠征におけるナポレオンの功績は、古代エジプト研究を飛躍的に高めたことだ。彼は愛読していたゲーテの『若きヴェルテルの悩み』を持参するとともに、学者の一団をもエジプトへ引き連れていった。ロゼッタ・ストーンもそこで発見された。そしてその貴重な遺物をフランスへ持ち帰ることに何の躊躇もなかった。

 それは勝者の権利なのだ。後にイタリアやスペインで名画の数々を、ドイツではブランデンブルク門の「勝利の女神像」をも奪うことになる(ルーヴル美術館や大英博物館が「泥棒美術館」と呼ばれるのは故無しとしない)。

 エジプトの翌年はシリア。勝利はしたものの、この地ではペストが流行し、犠牲は大きかった。ナポレオンの従軍画家アントワーヌ=ジャン・グロ(1771~1835)による『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』の完成は、シリア遠征から5年後だ。

アントワーヌ=ジャン・グロ『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』Napoleon Bonaparte visiting the plague stricken of Jaffa(1804) 所蔵・ルーヴル美術館(写真提供:Bridgeman Images/アフロ)
アントワーヌ=ジャン・グロ『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』Napoleon Bonaparte visiting the plague stricken of Jaffa(1804) 所蔵・ルーヴル美術館(写真提供:Bridgeman Images/アフロ)
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 ここはシリアの港町ヤッファ(現イスラエルのテルアビブ地区)にある、モスクの中庭。フランス軍が病院施設として接収した建物で、ペストに罹患した自軍兵士をナポレオンが慰問に来たところだ。膝に死者を載せ、軍服を着たまま朦朧とする士官や、失明し、黒いアイマスクを付け、円柱を辿りつつナポレオンに近づこうとする者など、おおぜいの病人や死者であふれる。医者が足りないのか、彼らの世話を強制されているのはアラブ人たちだ。

 画面中央のナポレオンはペストにたじろぐことなく、患者の胸に素手を当てる。後ろの部下がびくびくしながらハンカチで口元を押さえているのと対照的に、王者の威厳よろしくロイヤルタッチ(王が患部に触れることで治すという奇跡療法)というわけだ。先述したようにこの絵の完成は遠征から5年後、つまりナポレオンが皇帝位に就いた1804年。プロパガンダ絵画としての役割を十全に果たしたと言えるだろう。

 シリアでペストに罹った多くのフランス兵は、ナポレオンのロイヤルタッチの甲斐も無く(ほんとうにタッチしたかどうかもわからない)、異国での死を迎えることになった。阿片で安楽死させられたとの説もある。まだ生きていた者もシリアに置き去りにされた。それを批判する歴史家もいるが、ペスト罹患者をフランスへ連れ帰ったらその方が問題だが。

 ナポレオンは皇帝になっても戦争を拡大し続けた。1808年にはスペインへ侵攻し、占領したはいいが、国民の抵抗は熱く長く激しく続くゲリラ戦と化し(「ゲリラ」という言葉はスペイン語の「小さな戦争」からきている)、これがナポレオンの凋落の予兆となり、またフランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の傑作『マドリッド、1808年5月3日』を生むことにもなった。

フランシスコ・デ・ゴヤ『マドリッド、1808年5月3日』The 3rd of May 1808 In Madrid:The Executions on Principe Pio Hill.(1814) (写真提供:Iberfoto/アフロ)
フランシスコ・デ・ゴヤ『マドリッド、1808年5月3日』The 3rd of May 1808 In Madrid:The Executions on Principe Pio Hill.(1814) (写真提供:Iberfoto/アフロ)
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 のしかかるような闇の中、逮捕されたゲリラたちがプリンシペ・ピオの丘に家畜のように追い立てられて来る。画面右から左へ、死へ向かう者たち、死に直面する者たち、すでに死んだ者たち。彼らはどれも個性的に描かれている。死を間近にして手で顔を覆ったり、無念さに両手の拳を握りしめたり、放心状態だったり、十字架上のイエスのように両腕を大きく広げたり(この白シャツの男の両手の平には聖痕も見える)。

 ゴヤは彼らに、勇敢な戦士としてではなく、どこにでもいそうな、ごくありふれた人間としての風貌を与えた。事実この一夜に処刑された400人を超える男たちは、靴屋、石工、大工、水売り、農民、下男、フランチェスコ会修道士といった、貧しい庶民ばかりだった。侵略者から国を守りたい一心で、いてもたってもおられず鑿だの鍬だのナイフだの、果てはパチンコで立ち向かった者ばかりなのだ。中にはたまたま乱闘の場にゆきあわせただけの者もいたかもしれない。死の恐怖にかられたとして、何の不思議もない。