ナポレオン・ボナパルトのあだ名は多彩だ。「ちび伍長」(身長170センチ未満)、「フランス革命の落とし子」(エリート主義のフランスで田舎の小貴族から大出世)、「フランス人民の皇帝」(フランス初の帝政を敷く)、「コルシカの怪物」「食人鬼」(ヨーロッパ中から恐れられ、憎まれた)。
1799年から1815年までの、いわゆる「ナポレオン戦争」は、イギリス、イタリア、オーストリア、ドイツ、スペイン、ポルトガル、ロシア、さらにそれらの植民地を含む広範な地域を戦禍に巻き込み、350万~500万人の犠牲者(戦死だけでなく、怪我、飢餓、疫病、低体温症を主因とした死も含む)を出した。悪魔のごとく呪われたのは無理もない。その一方で、今なおナポレオンを稀代の英雄と崇める者がいるのも事実だ。
一級資料の『ナポレオン戦線従軍記』(F・ヴィゴ=ルション)からは、27歳のナポレオンを間近に見た一兵卒ルションの驚きが生々しく伝わってくる。1796年のモンテノッテの戦場でのことだ。曰く――。
「ブオナパルテ(=ボナパルト)将軍がやってきた。」「最高司令官だ、と口から口へ伝えられ私の耳にも達したが、私自身も信じられない気持だった。」「容貌、態度、身なりのいずれをとってもわれわれを惹きつけるものがない」「小柄、貧弱、蒼白な顔、大きな黒い目、痩せこけた頬」「要するに、イタリア遠征軍の指揮を執り始めた頃のブオナパルテは、だれからも好意ある目で見られていなかった」(瀧川好庸訳)
それがあれよ、あれよという間にカリスマ性を獲得し、戦勝に次ぐ戦勝、翌年のパリ帰還で熱狂的歓迎を受け、さらに翌1798年にはエジプトにまで遠征して、カイロ入城を果たすのだ。
19世紀のフランス人画家ジャン=レオン・ジェローム(1824~1904)が『スフィンクスの前のボナパルト』を描いている。
当時まだ首から下が砂に埋もれていた「ギザの大スフィンクス」前で、騎乗のナポレオンがひとり対峙し、遠くにフランス軍の大連隊が拡がっている。
ナポレオンが物思いに耽っているかに見えるのは、もちろん画家の意図するところだ。本作は英雄の死から半世紀以上経て描かれたものなので、ボナパルト王朝を繋げようとして果たせなかったことはすでに誰もが知っていた(ついでに言えば、彼の甥ナポレオン三世もその息子も亡くなった後だ)。
またスフィンクスと言えば、ヨーロッパでは一般にギリシャ悲劇と結びつけて記憶されている(エジプトのスフィンクスとは形体が違うが)。父を殺し、母と結婚すると予言されたオイディプスが、そこから逃れるために行動したことが、かえってその運命を引き寄せることになるという、やりきれない物語である。
逃げる過程でオイディプスは怪物スフィンクスに出会う。謎解き(「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足なのは何?」)を迫られて正解(「人間」)し、相手を斃す。この怪物退治が、父と知らず父を殺した後に、母と知らず母と結婚する運命の、決定的道筋だったのだ。
鼻の欠損した巨大なスフィンクスと向き合うナポレオンもまた、無言で問いかける怪物の難問に答えているのだろうか。そしていつかはハプスブルク家の姫を妻に迎えて新王朝を創るという、束の間の夢を見ているのだろうか。いや、むしろこの絵を見る我々自身に、ナポレオンや当時のヨーロッパの運命、さらには今の自分たちの世界を深く考えるよう、促すかのようだ。
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