では肝心のオーディンはどこに?

 ワイルドハントはこの最高神が率いるものなのだから、ふつうに考えると先頭を走っているはずだ。先頭は三頭の馬(白と黒)が横並び一線だが、画家は一番手前の白髭の男を目立たせている。鋭い眼光、大きく口をあけて号令をかける様。彼が主役だ。しかし彼はオーディンではない。なぜならオーディンのアトリビュートたる長い槍を持っておらず、隻眼ではなく、肩にカラスを止まらせてもいない。それどころか、明らかにヴァイキングだ。角付き兜をかぶり、チェーンメール(金属の鎖で編んだ防具)を身につけている。

 実はこの絵にオーディンはいない。面白いもので時代が下るにつれ、また国によって、ワイルドハントの主導者はトール、アーサー王、フランシス・ドレイク、魔女など、多彩になっていった。本作の場合、ノルウェーの英雄シグルズ王と言われる。つまりノルマン人だ。そしてノルウェーを建国したのはノルマン人。画家はそのことをこの災厄予兆の神話画に組み入れたのである。

 アルボがここで仄めかしているのは、故国ノルウェー独立の願望ではなかったか。この時代、ノルウェーはスウェーデン=ノルウェー連合王国。連合とはいっても強国スウェーデンの下でノルウェー人は不満を募らせており――スウェーデン側からは、独立するなら戦争、と脅されていたにもかかわらず――独立運動は静かに継続されていた。アルボは先頭を走るヴァイキングのすぐそばに、ラッパを吹く兵士を配置している。直管型の長いラッパは名声と勝利のシンボルだ。

 ノルウェー独立は一九〇五年。アルボ死去の十三年後であった。

 オーディンの狩りをテーマにした作品は数多い。もう一点取り上げよう。ドイツ人画家フランツ・シュトゥック(1863~1928)が一八九九年、まさに世紀末最後に描いた『ワイルドハント』。

フランツ・シュトゥック『ワイルドハント』La Chasse sauvage(1899)(写真:ALBUM/アフロ)
フランツ・シュトゥック『ワイルドハント』La Chasse sauvage(1899)(写真:ALBUM/アフロ)

 まっすぐこちらを見据えて向かってくる構図なので、小型作品ながら迫力に気圧される。額の禿げあがったこの老人がオーディンかどうかはよくわからない(持っているのは槍ではなく杖のようだし、隻眼でもなさそうだ)。彼が騎乗する馬は、目がないのかと一瞬錯覚させられる上、口がギーガーのエイリアンに似ているせいか無気味で、まさに怪馬そのもの。

 画面右下で身をよじって叫ぶのは、髪の毛が蛇のメドゥーサ。他にも得体の知れないものたちがひしめく。老人の背後には裸体の女性。エロティックなヌード画に定評のあるシュトゥックなので、アルボより生々しく煽情的な表現だ。

 本作の十年前、シュトゥックは同じタイトルの、しかも同じように鑑賞者に向かってハンターたちが突進してくる作品を発表している。だがその距離はまだ遠く、逃げられる可能性もなくはないと思われた。それだけに本作の距離感の縮み具合には、絶体絶命の脅威を覚える。

フランツ・シュトゥック『ワイルドハント』La Chasse sauvage(1889)(提供:Artothek/アフロ)
フランツ・シュトゥック『ワイルドハント』La Chasse sauvage(1889)(提供:Artothek/アフロ)

 世紀末の不安感が描かせたのだろうか、はたまたこの絵自体が災厄の予兆であったのか?

 本作発表一年前には、ハプスブルク家のエリザベート皇妃がスイスでアナーキストに刺し殺されていた。社会主義が台頭してきていた。世界中が不穏に覆われ、あちこちで二国間戦争が起こり、それが第一次世界大戦へと収斂してゆくのは近い。

 この連載は「災厄」がテーマだ。

 古来、人類は災厄と戦ってきて、今がある。パンデミック、飢餓、天変地異、戦争……エンドレスの戦いだ。そして画家はそれを連綿と描き続けてきた。記録として、インスピレーションの源として、ある種の美として、好奇心にかられて、あるいは宿命への怒り、また諦念として、現在を過去になぞらえて、描き続けてきた。今なお描き続けている。

 そこには人々が災厄に対してどう行動し、どんな敗れ方をし、はたまたどうやって乗り越えたかが、多彩な表現で提示され、あらゆる芸術がそうであるように、人間の本質を捉えようとする真摯な試みが見られる。

 ムンクは疫病で死にゆく者が生き残る者へ示した溢れる愛を、ミレイは天災から立ち直ろうとする若者の強靭さを、コルビッツは犠牲者のやり場のない悲しみを、ゴヤやピカソは怒りでいっぱいになりながら人間の蛮行を、それぞれキャンバスに塗り込め、叩きつけた。そうした名画の数々を見てゆきたい。

 ご愛読、よろしくお願いいたします。

この記事はシリーズ「中野京子の「災厄の絵画史」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。