H・G・ウェルズの『宇宙戦争』では、火星人の襲来で人類は為す術がなく、あわや滅亡寸前まで追い込まれる。幸い阻止できるが、それは人間の知恵によるものではなく、地球に存在していた病原菌のおかげだ。人間には免疫があるが火星人にはなかったため、敵は次々死んでいった。
このSF小説は、十六世紀のアステカ王国(メキシコ)とインカ帝国(ペルー)の相次ぐ終焉を思い出させずにおかない。ヨーロッパから渡って来た天然痘が、当時のアメリカ大陸には未知の疫病だったため、繁栄を誇った文明をいともたやすくなぎ倒したのだ。
天然痘のパンデミックについての最古の文献は、紀元前五世紀のアテネだ(ツキディデスの『戦史』)。都市国家衰退の遠因になったとされる。もちろんそれ以前からこの疫病が存在していたのは、紀元前一一〇〇年代に逝去したラムセス五世のミイラから痘瘡が見つかっていることから明らかだ。
エジプト、オリエント、インド、ローマ帝国、中国と、文明を追いかけるように天然痘は周期的に猛威を振るい、やがて世界中の都市へとパンデミックは広がっていった。
媒介者なしで直接人から人へ空気感染するという、強力な感染力。二〇~五〇パーセントという致死率の高さ。おまけにその症状の残酷さは、ペスト並みだった。急激な高熱、顔を中心に体中無数に出る大きな発疹、疼痛、呼吸困難。たとえ生き延びても失明したり、あばたが残った。伊達政宗が右目を失ったのも、ジョージ・ワシントンが所謂「あばた面」になったのも、また江戸時代に「見目定めの病」と異名をとったのもそのためだ。
ただし天然痘は免疫性も高かった。つまり一度罹れば二度と罹患しない。そこに気づいたインドでは、なんと紀元前一〇〇〇年ころには予防のための人痘法が行われた。患者の膿を乾燥させて弱毒化した後、健康な人間の皮膚に接種して軽い発症を促すのだ。ただしこの人痘法は死亡率が二パーセントと高いのが難点で、十八世紀初頭には欧米でも知られてはいたものの、なかなか普及しなかった。
そんな中、一七六八年にロシアの女帝エカテリーナ二世が自分と皇太子に接種したのはさすがの早さだ。その二年後、デンマーク宮廷で天然痘が流行した時、侍医ストルーエンゼの勧めで二歳の王太子(後のフレデリク六世)が接種した。宮廷中が大反対し、神学者でもある顧問官などは「神の意志への反逆だ」と糾弾したため、ストルーエンゼはまさに命がけの進言だった(これに関しては拙著『残酷な王と悲しみの王妃 2』([集英社文庫]参照)。
これら二例より先にイギリスのジョージ二世妃キャロライン(賢夫人で名高い)も幼い娘二人に接種させていたが、跡継ぎたる一人息子に施すほどの勇気はなかった。罹患しての死亡率が最高で五〇パーセントでも、死亡率二パーセントの人痘接種のほうが怖いというのが、人情といえば人情であろう。
そんな状況を変えたのが、フランスのルイ十五世だ。王家の肖像画家イアサント・リゴー(1659~1743)が描いた、二〇歳ころのルイ十五世。

「美王」と呼ばれたのもうなずける美青年ぶりである。
ヨーロッパ一華やかなヴェルサイユ宮殿に金のスプーンを咥えて生まれてきた彼は、山ほど愛妾をもち、多くの子どもを産ませ、贅沢三昧で国庫を減らし、何もかも手に入ったためアンニュイに悩まされるほどだった。政治には無関心。良き王でもなかったが、種痘には大いに貢献した。自分が天然痘に倒れることで。
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