アレゴリーの語源はギリシャ語のallegoria。「他の何かを語る」という意味だ。日本語では「寓意」と訳される。「寓意」を新明解国語辞典で引くと、「ほかの事にかこつけて、ある意味をほのめかすこと」。
美術用語としては、抽象概念や思考や理念の図像化だ。眼に見えないものを絵画表現によって見える形にするのだから、擬人像やシンボルなどを駆使することになる。画家だけでなく、鑑賞者の教養も問われる所以だ(印象派以前の作品が現代人には難解な理由もこれ)。
だが絵画芸術がもっぱら上流層のためのものだった時代には、画面のアレゴリーを読み解くことも絵を味わう大きな楽しみの一つだった。
戦争の寓意画を見てみよう。
フランドル出身の不世出の画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)が、「王の画家にして、画家の王」と謳われたのはよく知られている。各国の王侯貴族からの注文がひっきりなしだったこと、また当時のヨーロッパ画壇に紛れもない「王」として君臨したことが異名の由来だ。
アントウェルペンに大工房を構え、宗教画、歴史画、神話画、肖像画などありとあらゆるジャンルで傑作を生み、生前から現代に至るまで人気は衰えることがない。貴族ではなかったが貴族風の物腰、温和で誠実な人柄、気品ある容姿、当時の教養語たるラテン語をはじめとして七カ国語に精通、良き夫であり良き父、優れた経営能力、そして圧倒的画才。
さらに一時期ルーベンスは、外交特使としても活躍した。彼の国際的人気を頼みにしたスペイン・ハプスブルク朝のフェリペ四世(この頃フランドルはスペイン領)の依頼で、敵国イングランドとの交渉に力を尽くしたのだ。これによりルーベンスは、フェリペ四世とイングランド王チャールズ一世それぞれからナイト爵を授かっている。
そして一連の和平交渉の記念としてチャールズ一世に贈呈されたのが、戦争の寓意画『平和と戦争』(=『マルスから平和を護るミネルヴァ』)だ。
画面中央やや左寄り、自らの左胸から母乳をぴゅっと絞り出してそばの幼児に与えている裸体女性が主役なのは間違いない。では彼女は誰か?
ほぼ同じ姿勢で描かれたルーベンスの先行作品(『ヴィーナス、マルスとキューピッド』)があるため、この女性もヴィーナスと考えられた。また平和の擬人像説を唱える研究者もいた。今では、穀物の収穫を司る豊穣の女神ケレスというのが定説になっている(かようにアレゴリー解釈は難しい)。
いずれにせよ戦時に飢餓はつきものなので、ケレスがゆったりと幼児、即ち国民に、あふれるほど乳を与えられるのは平和の証左だ。画面左の女性も、一人は平和時ならではの歌と踊りに興じ、一人は豪奢な腰布を巻いて籠に宝飾品や金食器を運ぶ。豊かさがもどってきたのだ。
女神ケレスのすぐ手前にいる髭面の男は、半人半獣のサテュロス(足が山羊)。酒の神バッカス(=デュオニソス)の熱狂的信者なので、彼の掲げる豊穣の角からはワインの元であるブドウも覗いている。そのブドウの葉にじゃれつく豹にも意味がある。バッカスがアジアからブドウを持ち帰った時の馬車を牽いたのが豹なのだ(拙著『名画の謎 ギリシャ神話篇』[文春文庫]参照)。
前景右には、背中の小さな翼を見せた後ろ姿のキューピッドに、人間の子供たちが話しかけている(イングランド外交官の子供たちをモデルにしたという)。クピドは愛の神なので、平和がもどると愛も目に見えるようになったということだろう。となると、結婚もできる。子供らの後ろで松明を掲げているのは、結婚式を先導する神ヒュメナイオスだ。
さて、では戦争を終わらせたのは誰か?
後景右の薄暗い中で起こっていることこそが重要だ。華やかな鉄兜をかぶった逞しい女性が、右手に剣をにぎった男を円盾でぐいぐい押しやっている。前者は知恵と戦争の女神ミネルヴァ(=アテナ)、後者は軍神マルス。どちらも戦を司るのは同じだが、ミネルヴァは正義の戦争を、マルスは戦の負の側面を象徴している。知恵と正義が無謀で残酷な戦争を終わらせたとのアレゴリーだ。マルスの後ろにいるのは復讐の女神アレクトとされる。彼女も追いはらわれたので、戦後の復讐も無し。めでたし、めでたし。
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