日本の英語教育は間違っていない!

三木:お話を伺っていると、英語力もさることながらコミュニケーション力が大切であるとあらためて感じます。

須原氏:おっしゃる通りです。英語でのコミュニケーション能力に必要な要素を考えると、語彙量や文法などいくつかあるのですが、一番重要なのはコミュニケーションする内容についてどこまで自分自身が理解しているのかだと思います。理解し、それに対してどれぐらい自信を持ってるのか。これは英語に限った話ではなく日本語でも同じですよね。ここがしっかりしていれば、発音は良くなくても関係ありません。こちらが内容について理解していることが分かれば、相手は聞きますから。

 その上で、いろいろなノウハウやスタイルが出てくるのだと思います。例えば、聞き取れなかったときにどのように聞き直すとスマートなのか、あるいは確認のためにどのようにリフレーズするかといったことが、一つひとつ身に付くと、どんどんコミュニケーションの幅が広がっていきます。

 特に今触れたリフレーズの能力は大切だと思います。例えば、何らかの説明があったときに、「あなたの言っていることはこういうことですよね」と確認をすると、この人は分かっているんだ、あるいは分かろうとしてくれているんだ、という共感が得られます。仮に反論をするにしても、いったん「なるほど、こういうことを言いたいんだよね」とリフレーズして、意見を言う。こういったスキルが出てくると、コミュニケーションがもっとスムーズになると思います。

三木:私は、文法については中学英語で十分だと思っていますが、これについてはどうお考えですか。

須原氏:これもおっしゃる通りです。中学文法プラス仮定法で十分だと思います。仮定法は意外と使います。あとは語彙量ですよね。「書く」「話す」もそうですが、「聞く」についても結局、語彙量だと思います。

 日本の人は、よく「『読む』と『書く』は大丈夫だけど、『聞く』と『話す』はダメ」といったことを言いますが、それは間違っています。書けませんから。自分たちの英語力に対する自己査定が根本的に間違っているような気がします。きちんとした英語を書くのはとても難しい。それよりも「話す」のほうが入り口としてはよいと思います。

 「話す」に関しては中学レベルの文法と語彙で可能です。そう考えると、詰め込みといわれる日本の英語教育は間違ってないんですよ。

三木:そう思います。少なくとも高校1年生ぐらいまでは今のやり方で問題ありません。高校2年生ぐらいから、将来こういうことをしたいといったゴールを決めて、それならこういう英語を勉強しようというやり方をすれば、高校のうちにみんな話せるようになると思います。

 私たちは英語がある程度話せるようになるまで2200時間かかると認識しています。ただ日本人の場合、中学校・高校でおよそ1000時間学んでいます。そのほか自分でも学んでいることを考えると、あと1000時間学習すれば話せるようになると考えています。時間はどうしてもかかりますが、やればできるようになります。

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