(第3回「3年で全線の運行を再開、はためく大漁旗」はこちら

 「被災後1週間で運行再開」を実現した望月正彦社長(当時)は、次なる目標である「3年で全線運行再開」に取り組む。「3年」は復旧にかける時間としては短いが、本来の収益を失う期間としては非常に長い。三陸鉄道はこの間、津波に流された駅のレールを販売したり、運転士を他の鉄道会社に出向させたりなどして、収益拡大とコスト削減に努めた。中でも「フロントライン研修」は"一石四鳥"の施策だった。その"一石四鳥"とは。

(聞き手:森 永輔)

ここからは望月さんが陣頭指揮を執った収益拡大作戦について伺います。

 3年間で全線復旧する計画は進み始めたものの、大地震のあと大きな減収に見舞われました。2010年に4億2500万円あった営業収益は、2011年には2億4900万円に減少。赤字幅も拡大し、2億円台に乗りました。三陸鉄道はこれを補うべく、さまざまな取り組みを進めました。

望月正彦・三陸鉄道前社長(以下、望月):そうですね。最初に取り組んだのは「復興祈願レール」で、2011年8月15日に売り出しました。津波のため島越(しまのこし)駅から流されたレールを切って、磨いて、台座に据え付けたものです。真ちゅうのプレートにはシリアルナンバーを振りました。

復興祈願レール(提供:三陸鉄道)
復興祈願レール(提供:三陸鉄道)

 これを幅10cmのものは5万円、5cmのものは3万円で売り出しました。すると、ある新聞がこれを記事で取り上げてくれ、1日で売り切れたのです。全部で200個が売れ、売り上げは800万円に上りました。これは、震災後の2011年8月の営業収益に匹敵する金額でした。

<span class="fontBold">望月正彦(もちづき・まさひこ)</span><br />三陸鉄道・前社長<br />1952年生まれ。1974年に山形大学を卒業し、岩手県庁に入庁。久慈市助役や岩手県盛岡地方振興局長を歴任した後、同庁を退任。2010年6月~2016年6月まで三陸鉄道で社長を務めた (写真:赤間幸子)
望月正彦(もちづき・まさひこ)
三陸鉄道・前社長
1952年生まれ。1974年に山形大学を卒業し、岩手県庁に入庁。久慈市助役や岩手県盛岡地方振興局長を歴任した後、同庁を退任。2010年6月~2016年6月まで三陸鉄道で社長を務めた (写真:赤間幸子)

「祈願」というネーミングが良いですね。「記念」ではなく「祈願」。

望月:おかげさまで、「もっと欲しい」という声が大きくなったので、合計3回つくり、総額で二千数百万を稼ぎました。

 「復興祈願レール」は、車両が運行できず従業員に時間があったので、彼ら・彼女らの手作りです。従業員の「心の劣化」を避ける狙いもありました。

続きを読む 2/2 被災地を案内するツアーを運転士がガイド

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この記事はシリーズ「三陸鉄道始末記~3.11大地震から全線再開まで」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。