(第2回「『被災後1週間で運行を再開する』~決断を促した雪の上の足跡」はこちら

「被災後1週間で運行再開」を実現した望月正彦社長(当時)は、次なる目標である「3年で全線運行再開」に取り組んだ。筆頭株主である県は当初「6年」を想定した難事業だ。さまざまな協力者がこれを支えた。工事を担当するゼネコンは工期を守るとともに、予定を下回る費用で工事を完遂した。中東のクウェートが提供した原油は、新しい車両に姿を変えた。全線の運行再開は2014年4月6日。この日、三陸鉄道の各駅では大漁旗がはためいた。(聞き手:森 永輔)

望月さんは、大地震からわずか1週間で三陸鉄道の部分復旧を実現。さらに、間髪入れることなく「3年間で全線復旧させる」との決断を下しました。

望月:2011年3月中に、北リアス線*、南リアス線*とも被害調査を終えました。元に戻すだけでおよそ80億円かかるとの試算が示されました。ある程度の津波対策を加えれば約110億円かかると。

*:北端の久慈駅と南端の宮古駅を結ぶ71.0km
*:北端の釜石駅と南端の盛駅を結ぶ36.6km

 「約100億円は莫大な金額ではあるけれど、国が支援をしてくれればなんとかなる。であるならば手続きを踏んで進めていこう」と考えました。

<span class="fontBold">望月正彦(もちづき・まさひこ)</span><br />三陸鉄道・前社長<br />1952年生まれ。1974年に山形大学を卒業し、岩手県庁に入庁。久慈市助役や岩手県盛岡地方振興局長を歴任した後、同庁を退任。2010年6月~2016年6月まで三陸鉄道で社長を務めた (写真:赤間幸子)
望月正彦(もちづき・まさひこ)
三陸鉄道・前社長
1952年生まれ。1974年に山形大学を卒業し、岩手県庁に入庁。久慈市助役や岩手県盛岡地方振興局長を歴任した後、同庁を退任。2010年6月~2016年6月まで三陸鉄道で社長を務めた (写真:赤間幸子)

「6年もかけていられない」――県を説得

 4月の18~19日と2日にわたって、沿線の8市町村長の元を個別に訪れて説明しました。要旨は「3年以内に全線復旧させる。ルートは変更しない。被害の大きさや工事の難易度に応じて3段階で進める」。三陸鉄道が独自に作った計画を示して、「これでいけます」と話しました。あらあらの計画で、いろいろと前提が付く計画でしたが。

 そして「これで了承してください」とお願いしました。

 結果は上々で「それでいこう」と全員が賛成してくれました。

三陸鉄道の路線図と復旧の歩み(提供:三陸鉄道)
三陸鉄道の路線図と復旧の歩み(提供:三陸鉄道)

 県は当初。6年くらいかけて復旧すればよいと考えていました。しかし私は「それでは駄目です。3年でやります」と反論しました。復旧にはスピードが重要です。6年もかけてはいられません。時間をかければ、人件費や材料費が高騰するリスクが増します。他の被災地も一斉に復興に進むわけですから。

 説得のかいがあって、県も「3年間で全線復旧」する計画を認めてくれました。

続きを読む 2/4 ゼネコンが示した心意気

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この記事はシリーズ「三陸鉄道始末記~3.11大地震から全線再開まで」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。