全ての行動を分単位でノートに記録

このノートがすごい威力を発揮したと伺っています。

望月:そうなのです。

 起こることの全てを分単位で記録するよう指示しました。いつ、どういう指示を出したか。いつ、誰からどういう報告が上がってきたか。協議して何を決めたか。その全てをです。

 人間の記憶くらい当てにならないものはありません。加えて、非常事態です。「言った」「言わない」とか、「聞いた」「聞いてない」という話が必ず出てきます。しかし、この分単位の記録があれば、後から全て確認できます。これは、本当にやってよかったです。記録するよう指示をしたのは思いつきだったのですが。

震災記録ノート(提供:三陸鉄道)
震災記録ノート(提供:三陸鉄道)

ディーゼル車両では電気が使えたのですよね。パソコンは使えなかったのですか。

望月:使えませんでした。照明はつきます。しかし、コンセントは付いていません。三陸鉄道が運行する車両の中にはコンセントを配備しているものもありましたが、宮古駅に止まっていた車両にはあいにく付いていませんでした。

 なので、デジタル機器は使えず、作業は全て「マニュアル」で行いました。携帯電話だけは、自動車のエンジンをかけてシガーソケットから充電しましたが。

 でも、デジタル機器に頼ることなく作業したのは、逆にいちばん確実だったかもしれません。車両の燃料はいつまでももつものではありません。加えて、記録を一元管理することになったので、コミュニケーションの食い違いを防ぐことができました。

車両内に設置した対策本部ではどのように過ごされたのですか。

望月:幹部7~8人が交代しつつ、24時間体勢で当たりました。

8時間ずつ交代したのですか。

望月:いえ、夜は車両の中でごろ寝し、起きたら対策を続けるという状態でした。私は単身赴任で、会社が借り上げたアパートに住んでいたので、家族の元に帰ることはできません。それに停電していたので、アパートに帰っても何もできることはなかったと思います。

 車両の中は暖房が利いているとはいえ、3月の東北ですから寒かったですね。気温はたぶんマイナス1度くらいだったと思います。新聞紙を体に巻いて寝ました。

風邪を引きませんでしたか。

望月:幸い、大丈夫でした。非常事態に臨んで気が張っていたのだと思います。

(次回「 被災後1週間で運行を再開する~決断を促した雪の上の足跡 」に続く)

この記事はシリーズ「三陸鉄道始末記~3.11大地震から全線再開まで」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。