停電を救ったディーゼル車両対策本部
そのときに気づいたのが、宮古駅のホームに止まっていた車両の存在です。宮古駅を午後3時7分に発車して久慈駅に向かう車両が出発できないまま止まっていたのです。三陸鉄道が運行する車両は電車ではなくディーゼルカー。エンジンをかければ、明かりがつくし暖房も入る。「これいいね」ということで、車両内に対策本部を設置しました。

その後、一般の社員で家に帰れる者は帰し、幹部7~8人は車両に泊まり込んで対応に当たることにしました。
車両内に設置した対策本部にはどんなものを持ち込んだのですか。
望月:まずホワイトボード、それからノート。
ホワイトボードはどのように利用したのですか。
望月:重要な情報を全部書き出しました。
「○時○分に、乗客を救助した」とか、「□時□分に社員の無事を確認した」とかです。

乗客乗員の安否確認については、次のようなエピソードがありました。大地震から2日ほどたった日、新聞が「三陸鉄道の車両が行方不明」と報じたのです。岩手県警察署の発表を基にしたものでした。
南リアス線を走っていた車両が、鍬台(くわだい)トンネルを通過中に地震に遭遇し、トンネル内で停止してしまいましたね。
望月:はい、その車両のことです。私どもは3月11日の午後7時半の時点で、運転士が乗客を連れて脱出したことを把握していました。ホワイトボードにもそう記録したわけです。県警も混乱していたのだと思います。
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