想定にない津波が宮古駅に迫る

地震が起きた瞬間、望月さんはどこにいたのですか。

望月:宮古駅の2階にある、三陸鉄道本社の事務室にいました。宮古駅は北リアス線の南端の駅です。

大きな地震に遭遇されて、まず何をしたのですか。

望月:金庫を押さえました。揺れで、金庫が動き出しそうだったのです。一緒にいた総務部長はお神酒を押さえにいきました。

 揺れが収まって最初にしたのは、背広を脱ぎ作業服に着替えることです。「これはやばい。背広ではやっていられない」と感じたので。

避難はしなかったのですか。

望月:しませんでした。宮古駅周辺は、津波の浸水想定地域になっていなかったからです。

 なので、地震直後は事務室にいて、先ほどお話しした災害優先携帯電話を使って、現場の被害状況について報告を受けていました。運行中の車両が、北リアス線と南リアス線*でそれぞれ1両ずつありましたから。どこで止まったのか、乗客の安否などを確認する必要がありました。

*:北端の釜石駅と南端の盛駅を結ぶ36.6km

 そうこうして1時間ほどたつと、宮古駅の外が騒がしくなってきたのです。「何だ」と思って窓から外を見たら、津波が迫っていました。

 「これはやばい」と気づいて、宮古駅のすぐ近くにある「出会い橋」という陸橋に慌てて避難しました。その上に2時間ぐらいいたかな。

3月11日。岩手県の早春の午後です。寒かったでしょうね。

望月:ええ、寒かったです。小雪が舞っていました。

 午後6時ごろ、辺りが暗くなり、寒さもこたえてきたので、いったん本社に戻ることにしました。幸い、水が宮古駅まで到達することはなく、100mほど海寄りにあるロータリーのところで止まりました。それでも、300m先では車が重なっていたり、漁船が流されたりしていました。

 待っていたのは停電です。停電してしまうと、真っ暗で何もできません。ストーブもファンヒーターもつきませんでした。もちろんテレビも、パソコンも使えない。

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