東京都知事や運輸大臣などを務め、芥川賞作家としても知られる石原慎太郎氏が亡くなった。石原氏とは長い付き合いであり、あれほどまっすぐに主張する政治家はいなかった。

石原氏との「出会い」は65年以上前のことになる。僕は高校時代から作家を志し、大学時代は同人誌で小説を書いていた。そのとき、石原氏が『太陽の季節』を発表し、世間で大きな話題を呼んだ。僕は彼の作品を読み、大きな衝撃を受けた。
僕は当時、主に恋愛小説を執筆していた。恋人はいなかったから、架空の話だ。一方で石原氏の小説には、強烈なリアリティーがあった。当時の世の中の価値観を根底からぶち壊すほどのリアリティーだ。僕は彼の作品に圧倒された。
大江健三郎氏の芥川賞受賞作『飼育』にも衝撃を受けた。そして、この2作の登場によって、作家になるという僕の夢は完全に吹き飛んだのである。失意の日々を送る中、僕は何を目指せばいいのかを考え、結局、ジャーナリストを目指すことにした。
石原氏は作家であると同時に、政治家として活躍した。参院選全国区に自民党から立候補し、初当選。この頃、ある月刊誌から石原氏との対談を申し込まれた。そこで彼は、「日本は情けない対米従属をやめて、自立すべきだ。そのためには憲法を改正して、軍隊を持たなければならない」と主張した。
僕は真っ向から反対した。「あなたの主張には全くリアリティーがない。小説には強烈なリアリティーがあるが、政治家のあなたにはリアリティーがない」。なぜならば、日本は池田勇人首相の時代から安全保障を米国に委ね、経済に100%エネルギーを注いできたからだ。歴代総理大臣の中で安全保障をまともに考えた人間は誰もいなかった。僕は席上、石原氏と「大げんか」になった。
その月刊誌が対談当日の様子まで記事にして発表すると、発売後1週間くらいたったある日、石原氏の秘書から電話がかかってきて、「あの対談を、石原さんの後援会の冊子に載せたい」と頼まれた。僕は非常に驚き、石原氏の懐の深さを感じたのである。
その後、再び石原氏と会うと「自民党には、ハト派と称する人間が何人もいるが、何を考えているのか、さっぱり分からん。ハト派を称する人間と話したいから、誰か紹介してくれ」と言ってきた。同じ党内でもハト派の議員と交流が全くなかったのだ。僕は、加藤紘一氏、小渕恵三氏らを石原氏に紹介したが、いずれも石原氏の主張にまともな反応ができなかった印象がある。
1999年、石原氏は東京都知事選に出馬して「東京を世界に誇れる都市にしたい」と主張し、当選した。都知事になった石原氏は僕を呼んで、「『賢人会』をつくりたい」と言い出したが、僕は、「正直なところ、その名前が気に入らない。僕は賢人会には入らないが、あなたのことは応援している」と伝えた。
考え方の相違はありながらも、石原氏と僕はさまざまな議論を重ねてきた。
Powered by リゾーム?