東日本大震災で大きな打撃を受けた福島県のスーパー、ヨークベニマル。だが大髙善興会長は今、過去と現在の試練をどこか楽しみつつ会社の明るい未来を展望する。震災10年の苦労とその経験を通じて得たものを語ってもらった。
会社はこうやって潰れていくのか──。当時、本当にそう思いました。
東日本大震災のあの日、私はプライベートブランドの開発会議に出るため東京・四谷にいました。翌朝、車で福島に向かったのですが、たどり着くまでにかかったのは実に13時間。3月13日になって初めて郡山市内の店舗の被災状況を目の当たりにしましたが、店の天井が落ち、外壁が崩れ、中から空が見えてしまう現実を前に、立ちすくむほかありませんでした。

社員はまぶしく見えるぐらい復旧・復興に努めた
ヨークベニマル170店舗のうち105店が全壊または半壊となり、従業員24人、その家族148人の命を失いました。「会社創業以来の危機」と表現しても差し障りないはずです。
もっとも当初、会社の終わり、世界の終わりと弱気な発言をしていた私とは対照的に、従業員はまぶしく見えるぐらい、寸暇を惜しみ、復旧・復興に努めました。
4メートル超の津波に襲われた石巻の湊鹿妻店では、店長自らの判断で屋上駐車場に地域の方々500人を避難させ、店に残っていたわずかな食料を頼りに3日間、命を守った。別の店舗では一律100円で商品を売ると決断し、地域の方々の生活を守った。
ある店は私からの避難の呼びかけを聞かず、「表にお客さんが並んでいる。営業させてくれ」と懇願した。我が身を犠牲にしての奮闘は数え上げればきりがありません。「店はお客様のためにある」「お客様のために働け」。常日ごろ、私をはじめ経営陣からこう伝えてきたつもりですが、むしろ震災当時の従業員の姿から気づかされたことの方が多かったように思います。

震災後数カ月して、チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世が福島に来たことを思い出します。「仏は常に試練と困難、逆境を与え続ける」。この言葉が印象深く残っていますね。そして逆境を乗り越えるには、嘆かず、他人のせいにせず、日々精進していけば必ず未来に明るい兆しを与えてくれる。そう説かれました。
商売に当てはめるのならば、「当たり前のことを当たり前に実施する」ということに近いのでしょう。明るい笑顔、清潔な職場はもちろん、スーパーとしてお客様の食卓を豊かに楽しく日々、彩っていく。震災から10年、こうした考えと基本動作を徹底してやってきたことで、企業として何とか危機を乗り越えられたのかなと思っています。
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