浜通りから避難した人たちに、震災から10年たつことへの思いを聞きたいと思った。浜通りから山を越えて内陸に入るとある、二本松市。復興住宅地として16年に造成された根柄山団地がある。自治会長を務める大浦二三雄氏によると、70戸のうち60戸が埋まっている。

大浦氏は浪江町から転々と避難先が変わり、根柄山団地に落ち着いた
大浦氏は浪江町から転々と避難先が変わり、根柄山団地に落ち着いた

 大浦氏は、団地に住む男の子の母親からこんな話を聞いた。近くの公園で遊んでいると、大人が近くに寄ってきて「誰のおかげでそんなところに住めると思ってるんだ」と、暴言を吐いたという。

震災10年という言葉への不安

 団地には2LDKや3LDKの間取りの戸建てが並ぶ。収入が低ければ月6000円台から借りられるのだと大浦氏。「税金で建てたものだし、賠償金をもらっていい思いをしているのだろうと、言いたいのでしょう」

被災者の住む根柄山団地。震災から10年という節目に、一人ひとりの思いは複雑だ
被災者の住む根柄山団地。震災から10年という節目に、一人ひとりの思いは複雑だ

 震災のとき、浪江町に住んでいた。90歳だった母と、財布だけを持って山の避難所へ逃げた。そのあとは、行政に言われるままに県内の避難所やプレハブ住宅を転々とした。母は3年前、97歳で他界した。

 時間が少しずつ、暮らしを変えていく。でも、変わらないこともあるし、忘れたくないこともある。「震災から10年」で何を感じるかと尋ねると、こう話した。

 「その言葉を口にすると、色々なことが一区切りとして忘れ去られていくんじゃないか。それが不安です」

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