帰還困難区域は福島県の7市町村にあり、合計すると東京23区の半分近く、337km2に及ぶ。土の表面を削り取った除染土を黒い袋に詰め込む作業が、今も続いている。同県からの避難者数は約3万7000人。復興庁などによる20年度の調査では、双葉町の避難者の62%が「戻らない」と答えた。

一部の地域では、土の表面を削り取って黒い袋に詰め込む除染作業が続く
一部の地域では、土の表面を削り取って黒い袋に詰め込む除染作業が続く

 福島県の人口は減少が続いている。県全体で見ると、長らく約200万人で横ばいだったが、震災後から右肩下がりになった。同県の推計では21年1月時点で182万人と、10年より10%少ない。自然減もあるが、県外への転出も大きい。

 福島で原発が稼働したのは、ちょうど50年前。1971年3月、第1原発1号機が動き出した。それまで、浜通りはこれといって目立った産業がなかったが、原発で地域は潤った。だが、その原発もなくなり、再びこの地の産業、雇用が課題となった。

 「農業を続ける人は、もう少ないですからね」。双葉町の北側に接する浪江町で出会った、武藤栄治氏。震災以来やめていた米の作付けを20年春に再開した。「避難したまま戻ってこない人の田んぼも集約したい。そのために20年、法人をつくった」と話す。

 高齢化と担い手不足に、原子力災害というトリプルパンチによって県内の農林水産業は大打撃を受け、まだ元の水準には戻っていない。18年の産出額は2314億円で、震災前の10年と比べ12%少ない。

船の数は3分の1に減ったまま

20年に再び水揚げが再開された請戸漁港。ヒラメやカレイ、タラを引き揚げ豊洲へ送る
20年に再び水揚げが再開された請戸漁港。ヒラメやカレイ、タラを引き揚げ豊洲へ送る

 明るい話題がないわけではない。20年、浪江町の請戸漁港で水揚げが再開された。ヒラメ、カレイ、タラ。今であればそうした魚を引き揚げては豊洲へ送り込んでいる。 船が海に出るとすぐ第1原発が見えるが「揚がった魚は必ず種類ごとに放射性物質検査をして、厳しく設けた基準値以下である証明書をつけている」と漁業関係者は話す。

 ただ、震災前であれば出港する船が100隻に上り、相馬やいわきと並ぶ同県の大きな漁港だったが、今は船の数が3分の1に減った。

 他にも気になるデータがある。全国2位の生産量を誇るモモの県産品は、東京の卸売市場における20年の平均価格が全国平均と比べ15%安い。震災前の10年はこの幅が9%だったため、全国との差が開いた格好だ。この傾向は肉用牛でも同じだ。

 ここまで10年の間に、復興はインフラが先行する形で進んできた。復興住宅がほぼ整えられ、鉄道が元通りになった。海沿いを歩けば高さ7mの防潮堤が海岸を走り、そのすぐ陸側で防災林の工事も進む。

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