東日本大震災で多くの国民が何より痛感したのが原子力発電に依存した日本の電力政策のリスクだ。「夢のエネルギー」の危険性を目の当たりにし、様々な再生可能エネルギー計画が出現した。あれから10年。被災地を世界に先駆け“新電力の聖地”にする構想はどうなったのか。

福島県相馬市。JR相馬駅から北東へ車で約10分の場所に1000m2ほどの土地がある。市が運営する産業廃棄物の埋め立て処分場の一角だ。その片隅に太陽光発電システムが3台置かれている。
太陽光パネル96枚から構成されるシステムの出力は20kWで、総額2000万円はする。いずれも現役で、発電した電気は地下ケーブルを通じて約100m離れた市営の産業処理施設に送電。施設全体の電気代、年間2300万円程度の約50万円分をまかなっている。
それでも、このシステムの由来を知る者からすれば、年50万円という“わずかな成果”を出しながら、枯れ草が広がる風景にひっそりたたずむその姿は、少なからず寂しく映るかもしれない。というのも、このシステムは2011年、米テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)が、福島が世界に先駆け「再生可能エネルギーの一大聖地」になると期待し、その起爆剤として自ら現地に足を運び寄贈したものだからだ。
「イーロン・マスク?そんなこともあったような……」
今や米アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾスCEOを抜いて一時、世界一の富豪となったといわれる希代の起業家は10年前、福島第一原子力発電所の事故はソーラーパワーの重要性を世界に知らしめる契機になると考えた。
テスラの経営とは別に、マスク財団という再生エネルギー研究・支援団体を運営するマスク氏。その動きは早く、11年3月11日の震災発生から間もなく財団を通じて相馬市に太陽光システムの寄贈を打診し、7月29日には現地入りし着工式に参加している。

着工式で「寄贈が未来への希望につながればと思う」と話すマスク氏に対し、相馬市側も「今回の寄贈を将来への火種にする」と約束した。だがあれから10年。太陽光パネルは当時のまま。地元の関係者に詳細を聞こうにも、「イーロン・マスク?そういえばそんなこともあったような……」とその存在自体、忘れている人もいたほどだった。
誤解なきように言うと、相馬市は被災地の中でも再生エネルギーの導入に最も積極的な自治体の1つだ。11年8月、復興計画第1弾「津波被災地での太陽光発電の検討」を打ち出し、14年4月策定の第2弾でも「再生可能エネルギーのモデル事業の実施」「再エネを地産地消型で活用した循環型社会づくり構築」を掲げた。
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