「結果」で組織を「自分色」に染めてきたが…
レノボでの勤務を経て伊藤氏は2008年、再び日本に戻った。そして、スポーツ業界(アディダスジャパン)、映画業界(米ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント、SPE)で主にマーケティングと営業を率い、結果を残し続けた。作戦はいつも「業界の通例を常識と見ないこと」だ。畑違いでも新たな商流や市場を切り開き、「玄人」たちを驚かせた。
ただ、その手法は以前から業界にいる者にとっては、あまり好ましいものではない。経営トップは伊藤氏の手腕を見込んで「破壊」を求めるのだが、常識を破壊される方はたまったものではないからだ。いつしか「異端児」と呼ばれるようになった伊藤氏は以前にも増して、結果で認めさせようとした。
2009年に日本代表に就任したSPEでは、入社早々、急逝したマイケル・ジャクソンのドキュメンタリー映画のDVDで記録的なヒットを飛ばした。社内では「良くて35万枚」と見られていたが、伊藤氏は「最低でも100万枚は売れるはずだ」と豪語。自らスポーツジムやコンビニエンスストアなどの販路を開拓し、最終的な販売枚数は230万枚にも上った。

「『偉い人』がやることがうまくいかないから、苦しい状況にある」。そう語る30代の伊藤氏に対し、反感を覚えた社員も多かっただろう。だが、人の異動も多いグローバル企業では、結果によって組織を「自分色」に染めることができた。そして、伊藤氏は、それこそが世界標準の経営スタイルだと信じるようになっていった。
そして2014年、SPEも「常勝」に仕立てた伊藤氏のもとに旧三洋電機の事業再生の話が舞い込んだ。タイで生まれ育った伊藤氏にとって、絶頂にあった頃の日本の家電メーカーは青春時代の憧れの存在。「自分の培ってきたノウハウであの輝きを取り戻したい。会社を覚醒させ、自分自身も覚醒したい」という思いだったという。
「よそ者」が古い組織を変革し、再生に向けた成長軌道に乗せる――。だが、その思いは本シリーズの第2回、第3回で描いたとおり、不完全燃焼で途切れた。ハイアールアジアでは連続赤字に終止符を打ち、JDIでは現場の声を吸い上げて作ったディスプレー付きヘルメットなどで家電・IT(情報技術)の見本市「CESアジア」のイノベーションアワードを受賞した。結果で示せば、頑固な組織も自分の方針に従うようになると考えたが、それは淡い期待だった。
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