
本シリーズは、プロ経営者、伊藤嘉明氏(51)の挫折や自戒を通じて、ビジネスパーソンが働き方や仕事との向き合い方を考えるきっかけにしてほしいという思いで掲載してきた。コロナ禍で先行きに不安を感じている人も少なくないからだ。
前回までは、“日の丸液晶”ジャパンディスプレイ(JDI)など日本企業を「変えようとした側」の視点で、組織が抱える問題点などを指摘してきた。今回は、伊藤氏のグローバル企業での「成功」を振り返りながら、幅広い組織の改革に通じる考え方を探っていきたい。
「2年で5人がクビ」の部署で頭角現す
伊藤氏が初めてまとまった組織の運営を任されたのは30歳代半ばだった。日本コカ・コーラで実績を積んだ後の2004年、パソコン大手の米デルから、日本の公的機関の営業を統括するゼネラルマネジャーとして引き抜かれた。
担当範囲は、政府や地方自治体、学校など教育機関、そして病院。世界で低価格攻勢をかけるデルは当時、日本でも「陣地」を広げていたが、公的機関との取引では富士通など日本企業が圧倒的な存在感を見せていた。
対前年2割増――。それが、伊藤氏に課せられたノルマだった。
入社してすぐ、過去2年で5人がクビになったポストだと知らされた。日本企業の牙城を崩せず、8期連続赤字の事業部。社員が激務であっという間に潰されていく意味合いで「ミートグラインダー(ひき肉製造機)」と呼ばれる職場がいかに過酷か、伊藤氏は入社2日目にして実感することになる。
その日、シンガポールのアジア本社から2人の幹部が来日していた。四半期の業績が目標に届いていないことを指摘されたとき、伊藤氏は「まだ2日目だから分からない」と苦笑した。しかし、アジアトップのビル・アメリオ氏のその後の言葉に震撼(しんかん)する。「何がおかしい、お前の数字だろ」
普通にやったのではノルマが達成できないのは過去5人の「先輩」の実績が示している。伊藤氏は、現状を分析し、戦略を立てることから始めた。メンバーは日本人29人、シンガポール人と香港人が各2人の33人。「今ある力を結集するしかない。全員の話を聞き、ゼロから体制を整えることにした」(伊藤氏)
まず分かったのは、官公庁、学校、病院で売り方が全然違うということだ。そこで33人の組織を3つの部門に分け、それぞれの領域でまだ攻めていない「空白地点」を探した。例えば、官公庁部門で目星をつけたのが、情報流出事件を受けて新型パソコンの配備を急いだ防衛庁(当時)の超大型案件だ。契約プロセスは入札。優先交渉権を確保するには、それまで以上に価格を抑える必要があった。
「利益率はゼロでいこう」
伊藤氏はメンバーにそう呼びかけた。
各メーカーが販売するコンピューターの営業利益率は当時3.5%が標準ラインとされたが、なんと、それをなくそうというのだ。では、どこでもうけるのか。「公的機関は一度買えば長く使用する。メンテナンスのメニューを充実させて、販売後のサービスで収益を上げればいい」。伊藤氏はそう考えた。
今でいう「リカーリング(継続課金)」ビジネスだが、まだ2000年代半ばのことだ。実は、伊藤氏の趣味にヒントがあった。クルマが好きで毎週末ディーラーを巡っていると、帰り際にお土産を渡される。値引き合戦で薄利なはずなのに、ディーラーはどう経営を回しているのか。車検など販売後のサービスが収益源に違いない、というのが伊藤氏の見立てだった。
「国は初期費用を抑えるが、安全にはお金を出すはず。プラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズとメニューをつくって売り込んだ」(伊藤氏)。その戦略は奏功し、デルは5万6000台以上のパソコンを受注。教育分野では研究機関をターゲットにし、茨城県つくば市のある研究所には1200台ものブレードサーバーを納入した。対前年の成長率は30%に達し、かつての弱小部隊は「常勝軍団」と呼ばれるようになった。
結果を出した伊藤氏は海外赴任を希望したが、目立ったことで「日本のエース」と目されてしまう。悶々(もんもん)とした生活を送っていた2年目、デルのアジア代表からレノボグループCEO(最高経営責任者)に転じていたアメリオ氏から電話があった。「元気にしているか、一緒にやらないか」。用意されたポストは米国本社のグローバル担当役員だった。
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