“日の丸液晶”会社、ジャパンディスプレイ(JDI)で伊藤嘉明氏は新規事業への進出を訴えたが……(写真:つのだよしお/アフロ)
“日の丸液晶”会社、ジャパンディスプレイ(JDI)で伊藤嘉明氏は新規事業への進出を訴えたが……(写真:つのだよしお/アフロ)

 「既存ビジネスから脱却しないと先はない」――。

 伊藤嘉明氏は2017年6月に液晶パネル大手ジャパンディスプレイ(JDI)の常務執行役員兼CMO(最高マーケティング責任者)に就任して以来、そう訴えていた。既存ビジネスとは、スマートフォン向けの小型液晶事業のことだ。製品メーカーの販売事情に振り回され、圧倒的な資金力を誇る中国勢や韓国勢との価格競争は厳しい。同社は赤字経営が続いていた。

 非モバイル事業へのシフトは伊藤氏が言い始めたことではない。2012年にJDIが発足して以来の懸案であり、同業で2016年に台湾・鴻海精密工業に子会社化されたシャープも直面し続けた課題だ。だが、それまでの経営陣は事業規模とシェアを求め、筆頭株主の官民ファンドの支援をバックに「拡大路線」を突き進んだ。

 ライバルの韓国サムスン電子は次世代ディスプレー技術として期待されていた有機ELにいち早く経営資源をシフトし、新たな市場の構築に向かった。国の後押しを受ける中国勢の果敢な投資によって液晶は世界的に生産過剰となり、スマホ上位機種の有機EL採用もあって、体力勝負はさらに激化していった。

 JDIが2015年5月に着工し2016年末に稼働した主力の白山工場(石川県白山市)は1700億円とされる建設資金を主要顧客の米アップルからの「前受け金」で補った。アップルが受注量に関係なく一定額の返済を求め、JDIの現預金がある水準まで下がると工場を差し押さえることができる「密約」が条件だ。JDIの経営は、アップル次第という状況に陥っていたのだ。

 中国家電大手傘下のハイアールアジア総裁兼CEO(最高経営責任者)を2016年3月に退いた伊藤氏は個人で経営コンサルティング事務所を営んでいた。顧客の1社だったJDIに加わったきっかけは、同社CEOへの就任が決まっていた旧知の東入来信博氏からの要請だった。「新規事業を見てもらえないか」。そう頼まれ「副業役員という挑戦も面白い」と考えたという。

 JDIでの伊藤氏の立ち位置はハイアールアジアのときのような「再建を託された経営者」ではない。形態は週3日半のコンサルティング契約で、執行役員とはいえ直接の管轄部署も持たなかった。それなのに、なぜ「常務」という肩書が付いたのか。そこには、JDIという会社の生い立ちと、東入来氏の置かれた状況が関係している。

植え付けようとした「マーケティング」の概念

 JDIのベースは東芝、日立製作所、ソニーの中小型液晶事業で、発足後にはパナソニックの茂原工場(千葉県茂原市)も取り込んだ。官民ファンドの産業革新機構(現INCJ)が旗を振って設立した「日の丸液晶会社」で、いわば電機大手の事業部の寄せ集めだ。出身母体の綱引きも根強い社内には「トップに誰が来ても変わらない」と諦めムードが漂っていた。

 日本鉱業(現JX金属)出身の東入来氏は長くディスプレー産業に身を置き、イスラエル企業の傘下となった液晶検査装置会社の経営を担ってきた。直近の役職は15年に産業革新機構主導で発足した有機EL会社、JOLEDの社長。国際的な人脈を持ち経営手腕も認められていたが、電機大手ではほぼ無名だった。直轄の役員を置きたくなったのも無理はないのだろう。

 グローバル企業を渡り歩いてきた伊藤氏にとって、JDIは衝撃的だったという。トレンドが足早に変わる先端技術を扱うにもかかわらず「物事を決定するスピードが遅すぎた」からだ。現場の技術者は優秀なのだが、いざ決裁となるとあちこちで停滞する。まずは「会社の価値が見えるようにして投資家の付く流れをつくる」ことを、自らのミッションと考えた。

 ただ、新規軸の事業を見出すにもアイデアを練る仕組みづくりは欠かせない。そこで「マーケティング・イノベーション&コミュニケーション戦略統括部(MI&C)」という組織を社内公募で立ち上げ、「モノづくりだけでなく、ソリューションを含めたコトづくりを」と提案した。「商品開発」「ブランディング」などテーマごとに、複数部署の人材で構成する社内の横串チームも組成した。

 剛腕を発揮する形で孤立したハイアールアジア時代の反省もあってか、「自分はシナリオを考え、社員の才能を引き出すことに注力した」と伊藤氏は言う。そうして出てきたのが、例えば、速度や全地球測位システム(GPS)情報を映すディスプレー付きヘルメットや、普段は姿見として使える映像表示ディスプレー。いずれも若手中心のMI&Cメンバーの企画と議論によって実現し、スマートヘルメットなど2つの製品が翌年の電機見本市「CESアジア」でイノベーションアワードを受賞した。

 足元の経営も大切だが、将来につながる市場の開拓に踏み出そうーー。そんな従来のJDIになかった「マーケティング」の概念は一部の若手社員から歓迎された。

 だが、長く液晶ディスプレーに関わってきた古参の社員らの反応は鈍かった。当時の社内事情に詳しいある関係者は「イノベーションのジレンマと言えば聞こえはいいが、かつての成功を忘れられない人があまりにも多かった」と指摘する。

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