前回、旧三洋電機の白物家電事業を引き継いだハイアールアジアグループなどで「プロ経営者」として日本的な企業文化の変革に挑んだ伊藤嘉明氏(51)が、自戒とともに自身のキャリアを振り返る姿を書いた。そのことが、ビジネスパーソンが先行き不透明な時代を生き抜く上で参考になると考えたからだ。今回は、伊藤氏がハイアールアジアでどのような挫折感を味わったのかをお伝えしたい。

 伊藤氏が、中国の家電大手ハイアールの日本・東南アジア統括会社、ハイアールアジアの総裁兼CEO(最高経営責任者)に就いたのは2014年2月のこと。ハイアールは、三洋の再生の過程で親会社となっていたパナソニックから旧三洋の白物家電事業を2011年度に買収し、日本進出の足掛かりとしていた。

 三洋はかつて国内電機大手の一角を占めていたが、2000年代半ばに経営危機が表面化した。家電の競争激化で収益が悪化し、投資が大きい半導体事業も重荷となった。2005年から赤字決算と人員削減を繰り返し、不適切な会計処理も発覚。三洋とは「親戚」関係にあったパナソニックが、電池事業を強化する意図もあって2009年に子会社化した。

 ただ、三洋の主力だった洗濯機や冷蔵庫はパナソニックも得意としていた。売却対象となっていたところに、三洋と2002年から提携関係にあったハイアールが手を挙げた。機能を維持しながら騒音を抑える技術、東南アジアに築いた独自の販売網などを取り込みたいと考えたのだ。

 ハイアールは当初、本社の副総裁だった中国人の杜鏡国氏をハイアールアジアのトップに送り込んだ。電機業界の「負け組」を返上すべく旧三洋の社員も奮起したが、既定路線での改善では、厳しい状況が急に好転するはずもない。2期連続で赤字を重ねた上、無理がたたった杜氏が体調を崩し、旗振り役が不在となった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、当時44歳の伊藤氏だった。ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの日本・北アジア代表として記録的なヒットを飛ばした伊藤氏は映画業界では有名人だったが、電機業界ではそれほど知られていなかった。14年2月に就任した伊藤氏は同3月、大阪市内のホテルに日本にいる社員の9割にあたる450人を集めてこう宣言した。

「ゼロベースで、会社を再構築する」

(写真:共同通信)
(写真:共同通信)

 業界の通例にとらわれず、意識の変革で打開の道を探るのは、伊藤氏の常道だ。他社と差異化できない製品で価格競争をするという非合理な「常識」と距離を置くのは当然のスタンスだった。ただ、そのためには、新機軸の製品をいち早く市場に出せる機動力ある体制にしなければならない。組織の大胆な仕立て直しは不可避と見た。

 具体的には、14あった役職を5に削減。管理職クラスも半分ほどに減らし、意思決定のスピードアップを図った。「考え方もオペレーションも人事制度も、かつての三洋の『巨大客船』に合わせた仕組みになっている」。伊藤氏はメディアを通してそう指摘し、新しい会社に生まれ変わることの意味を訴え続けた。

 ガバナンス(企業統治)を確保するため、内部監査も実施した。そこであぶり出されたのは、海外出張時に平日から仕事と称してゴルフ場に通う役員の姿だったという。「中国側はすぐクビにしろと言ったが、私なりに花道は用意した」。指摘を受けた役員は、自主退職することになった。

 商品群では、大容量の洗濯機や冷蔵庫から手を引いて単身向け世帯に照準を絞り、単機能、ビビッドな色彩などで他社製品との差異化を進めた。このとき、手がけたのが、例えば、手のひらサイズの携帯型洗濯機「コトン」だ。利用してくれそうなレストランに配るなど、従来になかった商流の発掘にも乗り出した。

 ブルーオーシャンはどこか、市場にどう驚きを与えるか――。

 「中国資本、三洋という枠組みを超えアジアを代表するブランドに育てたい」と意気込み、改革にアクセルを踏んだ。平均2年半だった製品の開発期間は半年ほどに縮み、個性は定着するかに見えた。ただ、逆風は吹いていた。あまりに急な加速についていけない社員が反発したのだ。痛みも伴った。「退職した役員らが社内外でありもしない話を広めた」と伊藤氏は言うが、「自分たちの会社」の“解体”にちゅうちょした人も多かったのだろう。

 そして、終わりは突然やってきた。

次ページ 「敵は中国人ではなく日本人だ」