ミミズ大学をご存じだろうか。

 インターネットで検索して「入学する」をクリックすると、「ミミズは脳や心臓、肺など目以外は人と同じ器官を多く備えている高等生物の一種」「ミミズは発熱やぜんそくの薬として使われてきた」といったミミズの生態や関連する知識が紹介されている。運営するのは奈良県大和高田市の製薬会社、ワキ製薬。約10年前に経営危機に陥った同社が、ミミズという敬遠されがちな生物に社運を賭け、苦しみながら続けた研究の努力と成果が詰まっている。

奈良県のワキ製薬が開設している「ミミズ大学」
奈良県のワキ製薬が開設している「ミミズ大学」
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 明治15年(1882年)創業のワキ製薬は1970年代、ミミズが持つ酵素が血液の流れを良くする効果があると気付き、サプリメントなどを開発してきた。主に置き薬(家庭用配置薬)を販路とし、業界では「ミミズといえばワキ製薬」として知られてきた。

 しかし、そんな老舗が2011年、原料の調達先企業の離反を招いて倒産の危機を迎える。サプリメントや医薬品の原料になるミミズ粉末の製造を調達先企業に任せていたために、売り上げの8割を失った。この苦境を逆手に取り、研究開発企業に脱皮しようと奮闘したのが5代目の脇本真之介社長だ。結果、売上高は危機時の10倍以上となる13億円、従業員は10倍の約60人になった。

 研究開発というと多大な費用と時間が必要となり、資本力に乏しい中小企業には難しい印象が強い。倒産寸前だった中小企業は、いかにしてミミズのフロンティア企業として復活したのだろうか。

特許切れと取引先の離反で倒産危機に

 ワキ製薬が業界でミミズの先駆者として知られるようになったきっかけは1970年代、3代目社長を務めた祖父の時代だ。ミミズの皮の粉末は風邪薬として使われており珍しくなかったが、路肩で干からびて死んでいるミミズを見た祖父は、「ミミズの死骸はいつも乾いているが、水の中で死んだらどうなるのだろう」とふと思いついた。試してみると死骸は溶けた。ミミズにたんぱく質を溶かす成分があり、製薬に生かせるのではないかと着想した。

 薬学博士だった祖父は大学と共同で、ミミズの内臓にある酵素を含んだ乾燥粉末の製造開発を始めた。祖父は医薬品の開発を目指したが、うまくいかず、4代目社長である父がサプリメントの原料として粉末を利用した。当時はミミズ由来のサプリメントが珍しく、1カ月分で1万2000円と高額ながら置き薬(家庭用配置薬)の販路で順調に売り上げを伸ばした。

 しかし、2008年に粉末製造の特許が切れると事業が傾き始める。競合他社が中国製の安価な原料を使って参入してきたのだ。ミミズの皮を取り除き、加熱殺菌して水分を抜くというシンプルな工程は模倣が難しくなかった。

 さらに悪いことに、父と原料の製造会社は、全量買い取り契約を結んでいた。原料となる粉末の製造は、大学での共同研究先の関係者が設立した会社に依存していた。競争に勝つために価格を下げざるをえないが、原料は止まらずに入ってくる。

 特許という強みを失った中小企業はもろかった。いずれ技術力や独自性は陳腐化するのに、未来への投資を怠ったツケが出ていた。

 「資金繰りがつかない」と涙を流す父を見かねて、脇本氏は、原料製造会社を1人で訪問し、買い取り量を減らすことを認めてほしいと頼んだ。すると半年後の2011年夏、原料製造会社はワキ製薬への供給を取りやめ、別の会社と組むと通告してきた。業界内では「ワキ製薬は倒産する」との噂が駆け巡り、ますます売れ行きが細った。当時の売上高13億円のうち、8割が消し飛んだ。

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