9月後半から、欧州での電気料金高騰がちょっとした騒ぎになっている。寒冷地では、電気料金を払えず暖房が使えないことから、生きるか死ぬかにつながりかねない状況が生じ、フランスやイタリアでは、支払いができない家庭に対して、補助金を拠出する計画まで発表されている。スペインでの小売り電力料金は昨年同期と比べて約4割上昇。卸売りの料金では、1年半前の10倍になったという。欧州委員会は対応策のガイダンスの策定を迫られた。

 本質的な原因は、2014年から2016年あたりに話題になった原油価格の暴落だ。しかも価格低下のブレーキでもあるOPECの減産調整が不調に終わり、原油価格が漂流状態になった。その結果、利益見込みが不透明な採掘への投資が激減し、石炭と石油が不足する流れができていた。石炭石油の資源開発は一般に5年程度といわれており、時期的にピタリと符合する。

 原因のもう一つは急速な再生エネルギー(再エネ)への転換による玉突き的なエネルギー不足だ。「脱炭素」のかけ声のもと、明らかに不足することが目に見えていた石炭や石油の増産見直しに誰もが消極的になった。必然的に世界中が一斉に天然ガスへシフトした結果、当然ながら天然ガスの価格が高騰。そしてもともと原価の高い再生エネルギーのコストがこれに追い打ちをかける。

突然、資源がなくなったわけでもないのに大騒ぎ

 多くのニュースで伝えられている通り、中国ではすでに石炭火力発電の停止によって大規模停電が発生しており、産業レベルで大きな打撃を受けることが予想される。オーストラリアへの嫌がらせで同国産の石炭を禁輸にしたため、より質が低く、価格の高い他国の石炭を輸入せざるを得なくなり、国が決めた電力料金では石炭価格が逆ざやで発電できないという理由で電力会社が発電を止めてしまった。これはかの国の特殊事情ではあるが、やはり背景には石炭生産の縮小の流れがあり、脱炭素絡みの要因もある。

 というタイミングで、運が悪いことに北欧では夏期の降雨量が極端に少なく、本来ダムが満水であるべきこの時期に渇水騒ぎが発生しており、クリーンな電力を生んできた水力発電が危機に瀕している。

 残念ながら、この流れはすでに日本にも伝播しており、この冬さらに深刻化することが憂慮されている。

 少し大げさな言い方なのを承知で言えば、日本のエネルギー源は今や天然ガス一本足なので、天然ガスの価格高騰は電力価格を直撃する。金額はともかく電力料金が上がることはもう避けられない。実際は電力会社が緩衝材となることで被害は限定的だろうが、価格変動制の新電力各社と契約している人は大変な目に遭う可能性が出てきた。

 要するに今回のエネルギー危機は、世界的規模の話であり、それはかなりの部分で、慎重にエネルギー需要と生産のバランスを取る作業を怠った政策の勇み足によって引き起こされたもの、と言える。

 普通に考えて、地球全体でエネルギー総量が“突然”足りなくなる事態はそうそうない。予兆は明らかにあったのだ。足りなくなることは予想可能だったし、時間的にも十分対処できたはずだ。しかし、各国政府も企業も、脱炭素の強い同調圧力で、打つべき手を打てなかった。「妥当な移行期間を設けず、拙速に脱炭素へのアクセルを踏んだ」結果、石炭、石油の供給不安が生じ、天然ガスに過剰な需要が発生して、価格が高騰しているにすぎない。人災である。

“変革を恐れるな”という物言いの無責任さ

 赤道に近い、再エネ利用に際して特別に条件のいい国の例を根拠に、再生可能エネルギーに転換すればエネルギー価格は下がると強弁していた人、「脱炭素は待ったなし、プランBは存在しない。なぜならば地球Bは存在しないのだから」と大見えを切ってみせた欧州某国の大統領、「エネルギー価格の高騰は産業構造改革のよいきっかけになる」と暴言(だろう)を吐いていたわが国の政治家などの皆さんは、この冬高騰し続ける電力価格を見て「ブラボー!」と拍手すべきだろう。高騰するエネルギー価格に不満を述べる国民に「痛みに耐えて改革を断行するのだ」と、厳しく説教していただきたい。

 危機に直面していないときの言葉は、本当にその痛みが来た時点で試される。「こんなはずじゃなかった」ということになるのか、ならないのか、まさに今、地球規模で試されている。

 ……と、脱炭素を主張してきた人々に対してだいぶ熱めのディスりをかましたことには、理由がある。少なくとも日本の自動車メーカー各社は、脱炭素を進めつつ、移行期の痛みを可能な限り最小化する方法を考えてきた。具体的に言えば、高効率の内燃機関を搭載するクルマやハイブリッド車(HEV)と、電気自動車(BEV)を並行して拡大していく、マルチソリューションプランである。

 これに対して、政治もメディアも、「日本メーカーは変革を恐れる茹でガエルだ」という批判を繰り返し、自動車メーカー各社はその圧力によって、少しずつリスクを高く設定する譲歩を繰り返してきた。

 環境という正義を傘にして、リスクの説明を「やらない理由探しだ」と決めつけられ、移行期間をしっかり取ろうと発言すれば「変化を嫌って過去にしがみつく守旧派」と批判され、揚げ句に「脱炭素に批判的なメーカー」とレッテルを貼られてSDG’s の投資格付けを下げられる。真面目に現実路線を走ろうとしている自動車メーカー各社は、昨秋からそういう、「勇ましくてリスクを無視した極論」に翻弄され続けてきたわけだ。

 世の中の評価軸がねじれてしまえば、企業の正しい方向への努力は評価されず、それどころか報道や、そして株価という形で事業にダメージを受ける。とはいえ、間違った方向に走り出してしまえば、いずれ己のクビを絞めるのは分かりきっている。

今、日本の自動車企業の戦略を改めて見てみよう

 このアンビバレントな状況が日本の自動車企業をどれほど苦しめているのか想像してほしい。社会の雰囲気に対応するだけなら、口先で「EVの比率を××年までに△割に」と言えばよさそうなものだが、日本の自動車企業は真面目だから、言ったことは本当にやろうとする。原料は、工場は、設計は、インフラは、市場は、コストはと、あらゆることを考えねばならない。EV関係は変数も多く、未来もまだまだ不明確だが、そこで利益を維持し、成長もできる計画を立てることが求められる。

 そもそも、「電動化率を引き上げること」自体が、この計画の目的であってはならない。目的はあくまでもCO2の削減であり、電動化はその手段にすぎない。世界から求められる環境対応を実現した上で「自らが信じる良いクルマづくり」まで貫かねばならないのである。

 そんな都合のいい解が果たしてあるのだろうか。が、「ない」と言わないのが日本の自動車メーカーだ。

 今回からしばらくの間、この状況を乗り切ろうと苦闘する日本の自動車メーカーの姿を、マツダを例として見てみたい。

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