そもそもの話として、CO2削減という人類の直面する課題に対して、BEVは解決のための多様な手段のひとつでしかない。手段は目的ではなく、あくまでも手段であることがこんなにも理解されないことが意外でならない。

エネルギー政策を誤れば製造業は滅ぶ

 そういう非プラクティカルな出口に進めという政治からの要請に対して、550万人の雇用を支える自動車産業は、唯々諾々と従うことはできない。

 雇用は国の基本である。ここで重要なのは、大前提として自由競争社会での雇用の話だということだ。例えば自動車の急速な普及で、人力車の車夫が仕事を失ったのはこれは仕方がない。新しい多様な技術が次々と生まれる中で、競争原理に従って淘汰が進むことは誰も止めることができないし、それでも雇用を優先しようとするのであれば、それは社会主義だろう(これも「社会主義はイカン!」と言いたいのではなく、現在のわが国の制度は、市場の自然調整を前提としたシステムになっているので、部分的に極端に弾力性のない制度を組み入れると、そこに応力が集中して破綻しやすいという意味だ。ああ面倒くさい)。

 問題は、手段と目的を取り違えた中で、規制万能論が強権的に産業を壊し、それによって雇用が失われることである。それは淘汰とは違う。イデオロギーが雇用を壊す、という悲劇だ。

 自工会の会見で豊田会長が、1000万台の国内自動車生産が200万台に激減すると発言したのは、BEVの顧客獲得能力は15年先まではその程度だという予想であり、他の方式が並行して生産できるのであれば、雇用を守れるが、BEV以外の存続を許さないというのであれば、200万台に激減する可能性があるということを示したものだ。

 仮に1000万台から200万台になったとしたら、日本の自動車メーカーはよくて1社になるし、悪ければその後、遠からず全社消滅して0社0台になるだろう。その時には、おそらく自動車のみならず日本の製造業の多くは、この国から消えている。「電気料金の高騰は産業構造を変えるチャンス」というレベルの判断で、エネルギー政策を誤るような国では、製造業は生き残れない。例えば1000万人の失業者を抱える国になったとしたら、貧しいとか何とか言う前に、治安が崩壊し、国の体を成さなくなる。

 もし本当にBEVに実力があるなら、他の方式と併売しても、競争を勝ち抜いて400万台でも600万台でも売れていくはずであり、そうであれば雇用は損なわれない。BEVが売れるか売れないかはBEV自体の問題であって、他の方式があったら勝てないようなものならば普及させても短命で終わるだろう。自由競争とはそういうものではないのか?

トヨタは、製造業は、座して死を待たない

 さて、トヨタの日本脱出プランの話だ。

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