米国の電気自動車メーカー、テスラは、「モデル3」と「モデルY」へのミリ波レーダーの搭載をやめる方針を打ち出した。

それはつまり、テスラ自慢のオートパイロットのセンサーについて、従来のミリ波レーダーとカメラの2系統から、カメラのみのシステムに改めるということを意味している。テスラのウェブサイトに行くと、以下のように書かれている。
Teslaはカメラを基盤とするオートパイロットシステム、Tesla Visionへの移行を継続しています。2022年6月以降に日本向けに製造されるModel 3およびModel Yは、レーダーに代わり、カメラビジョンとニューラルネット処理により、オートパイロット、フルセルフドライビング ケイパビリティ、および一部のアクティブセーフティ機能を実現します。
(※リンクはこちら→https://www.tesla.com/jp/support/transitioning-tesla-vision)
ちまたで賛否両論が激突しているこの話、要するに「カメラシステムだけで十分安全が確保できる派」と「それでは不十分なので、ミリ波レーダーは残すべき派」の対立構造になっている。乱暴に言えば「危なくない派」と「危ない派」ということになる。まあこれを読み始めた人は、おそらく筆者がテスラのミリ波レーダー廃止を真っ向否定することを期待しているだろうと思う。けれどもこの話はそんなに単純ではない。
分かりにくい話なので、結論から言えば、長期的にはセンサーの種類は減らした方がいい。理由は後述するが、この件に関してのイーロン・マスクの主張は正しい。だが、それはあくまでも長期のビジョンとしての話だ。いまいまの話として、ミリ波レーダーが不要かどうかはまた別の話である。
「空振り」を許容していいか?
理由を説明していこう。「ミリ波レーダーを廃止するのは危ない」と言っている人は、要するにカメラだけでは検出できない対象があった際に、それをミリ波レーダーで検出できれば、安全性が高まるではないか、あるいは、カメラだけでは安全性が十分とは思えない、という論旨だと思う。それはそれでよく分かるのだが、逆に考えることもできる。
複数のセンサーを使うことで見落としが防げる、とする立場は、センサーによって検出結果に食い違いが出ることが前提である。食い違いが起こらないのならば、カメラが見落とした何かをミリ波レーダーが発見できる可能性がゼロということだから、わざわざコストを掛けて複数センサーを使ってまで冗長化する必要はない。そして、仮にどれか1つで用が足りるとすれば、最もコストが安いか、他の制御にも使い回せるものが望ましい。
「ぶつからない」の範囲を超えて、より広い範囲で運転支援を実現していこうとすれば、例えば信号機の色であるとか、標識を認識する必要があり、それができるのはカメラだけである。ミリ波レーダーは、そこに物体が存在することは把握できても、色や模様や形状を判別することはできない。よって、仮定として「ミリ波レーダーとカメラの障害物検知能力が同様であるとする」ならば、どちらか1種類を残すとすればカメラである。ついでに言えば、ミリ波レーダーはコストが高く、カメラは安い。
さて、ここまで読んで「いやいや、だからどちらのセンサーも同じ結果を検出する話をされても困る。カメラが検出し損なった何かを、ミリ波レーダーが検出できるケースを問題にしているのだ」というご意見は当然あるだろう。
事故防止のためには、見落としを可能な限り避けたい。それはつまり「分岐点があるなら安全側に倒す」という考え方であり、止まらずにぶつかるリスクを避けるためには、念のためにブレーキ。という話を根底にしている。
と、ここで、これまで曖昧に処理されていた話が少しクリアになってきた。「安全側に倒す」という考え方は、つまり「空振り」の許容で成り立っている。「何もないところで止まったとしても、ぶつかるよりはいい」ということだ。
しかし本当にそうだろうか?
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