これはその通りで、日米は1970年代から、大気汚染問題に積極的に向き合ってきた。日本の例を挙げれば、昭和51、53年(1976、78年)から、厳しい排ガス規制を国内に課してきたのだ。そうやって40年も前から日本が取り組んできた課題に、欧州は2000年代になって気がついた。

 ……信じられないって? この話が理解しにくいのは、自動車の「排気ガス(排ガス)」にまつわる問題が大別して2種類あるからだ。

大気汚染に早くから向き合ってきた日本

 ひとつは大気汚染、公害を生む有毒排気ガス問題。
 もうひとつは地球温暖化を呼ぶといわれている温室効果ガス(温暖化ガス)問題(温室効果ガスではフロンが先にやり玉に挙げられたが、現在の注目はCO2である)。

 1970年代から日米が取り組んでいたのは公害、つまり主にNOx(窒素酸化物)の削減である。当時、焦点が当てられた公害の要素は主に3つあり、CO(一酸化炭素)とHC(炭化水素)とNOxだった。ちなみにNOxの末尾のxは「数が未定」ということを表しており、つまり窒素とx個の酸素分子が化合したものを言う。

 さてこのうち、COとHCの削減は技術的にさほど難しくない。要するに燃料に含まれるC(炭素)とH(水素)に対して酸素が十分にあれば、COはCO2(二酸化炭素)に、2HCはH2O(水)とCO2になって無害化する。燃料に対する酸素の比率が上がればいいわけだから、そのためには混合気(燃料と空気の混合気体)を薄くすれば良い。燃やす燃料が減るからパワーは諦めねばならないが、理屈は簡単だ(ここは細かいことを言い出すともっと色々あるのだが、ざっくりと言えばおおよそこういうことだ)。

 ところが、そこにトレードオフが発生する。混合気を精密にコントロールできないと、酸素不足が一変、酸素過多になる。その場合、余った酸素は、燃焼の熱エネルギーを受けて、そのエネルギー余剰を解決するため何かと化合したがるのだ。

 あぶれた酸素は、本来安定的な窒素と化合して、通常自然にはあまりないNOxが発生する。そういうメカニズムになっている。そのNOxは太陽光で光化学スモッグに変質する。これが喘息などを引き起こして問題化していたわけだ。

 酸素が足りなければCOとHC、余ればNOxという具合で、どちらに転んでもいけないところが、なかなか悩ましい。日本ではこの問題を酸化還元触媒と排気ガス中の残留酸素を測定するO2センサーのフィードバック制御という技術で克服し、1980年代には後顧の憂いなく、精密混合気を燃焼室にバンバン送り込んで高出力エンジンに仕立て、パワー競争に突入していったのである。

京都議定書でCO2が「主役」に

 しかし、この潮目が1990年代に徐々に変わり始める。

 国連傘下にある「気候変動枠組条約締約国会議」が、「地球温暖化」を解決するために組織され、突如CO2をクローズアップし始めたのだ。このCO2削減については、1997年に初めて具体的規制案が盛り込まれた「京都議定書」が採択された。

 しかしながら、日本では、早くから工場設備などに対して徹底して公害問題に取り組んで来た結果、すでにCO2を含むあらゆる排出ガスの大幅な削減を実現していた。

 欧州の運動で、削減目標の基準年は1990年となった。それまで出し放題にCO2を排出して来た欧州は、簡単に1990年比マイナス6%の目標を達成したが、すでに計量時のボクサー並みに環境対策を進めてきた日本にはもうそれだけの削減余力がない。これにより日本は莫大なクレジット(罰金)を買い取らされることになったのである。

 京都議定書を今振り返ると、日本が環境問題について技術的には遙かに先行していたにもかかわらず、それに応じた基準、例えば人口当たりCO2排出量などの公平なルール交渉をまとめられず、欧州側に押し切られて全世界一律の削減率を認めさせられたことがわかる。しかも、こともあろうに自らがホスト国である京都会議で提案させられるハメになった。言ってみれば技術ではなく政治の敗北である。

 さて自動車だ。早くから排ガス問題に取り組んで来た日米両国に対し、欧州は「有毒ガスよりCO2を削減すべし」という立場であった。筆者にしてみれば「20年も無策だったわりには、ずいぶん上からな言いぐさだな」と感じたのが正直な感想である。

 そのCO2削減についての、欧州の切り札がディーゼルエンジンだった。
 ディーゼルは確かにCO2の排出量がガソリンエンジンより少ない。が、NOxとPM(粒子状物質、要するに煤)ではガソリンエンジンよりもずっと劣等生である。

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